「俺、多分、他の病院に行っても思い出せない気がするんです。貴方も言いましたよね、戻るかどうかは君にしか分からないって…全然、戻る気がしないんだ。みんな分からないって言うし、そもそも、俺が分からないものを、どうやって人に教えて貰えるんだ。それなのに、これ以上医者に行ったって…。だから、もう、無くなっちゃったのなら、しょうがないのかなって、もう、いいのかなって、…だんだん、思えてきて」
「だから、何が良いんだ」
少年が暗い声で言葉を締めようとしているのを、今度はレグサが遮った。その声には若干の怒気が含まれている。
アガサはひとり黙り込み、自分の甘い珈琲を飲みながら、事を静観した。
「え?あの…だから」
「何が良いんだ言ってみろよ。もう良いっていうのは、良くなる事を指すんだぞ?ほら、君が諦めて何が良いんだ?それで何かが良くなるのか?」
「………」
「何も良く無いだろ?落ち込む気分に流されて適当な事を言うな、君に付き合っている僕に失礼だ。…まだ週も跨いでいない内に諦めるな、先の事なんて誰にも分からないんだから」
横から聞けば、大変横暴な台詞だと思った。
少年の真意とレグサの真意は、ところどころずれている上に、原因であるお前がそんな台詞を言うなと思う。
しかし、そんな事は勿論知らない少年にとっては受け取り方が違ったらしく、レグサの失礼な言葉に目を瞬かせた後、何時かのようにぼろりと涙をこぼして、何故か、口元に笑みを浮かべた。
此処数日の付き合いだが、彼の笑顔というものを、今初めて見た気がする。
「…あ、ありがとう」
これもまた何故か、レグサに礼を言った少年が、ぼろぼろ泣きながら持っていたカップを握りしめた。落ちた涙が、珈琲の中へと吸い込まれる。
「お、俺、ずっと不安で。俺の事も、どうしてこんなところに居るのかも、何もわかんないし、思い出せる気もしないし、誰も、俺の記憶のことなんて、分からないって、言われるし………でも、そんなに、必死になって、助けてくれるって言ってくれる人がいて、よ、良かった、……よかった」
「うん、その良いなら悪く無いね?ていうか、治るよ。そう思わないと治る物も治らないだろう?」
「…うん」
泣いた事で体温の上がった少年の顔に、ほんのりと赤みがさす。そこに笑顔が合わさり、なんともあどけない雰囲気を作り出していた。
それを見たレグサとアガサが、同時にカップをがん!と机に置いた。
やっべ。今の顔なに?超可愛いんだけど。待て待て。落ち着いて良くみると、この子結構タイプの顔してない?
やだ、今の顔のまま連れ込んで上からぺろりと食べちゃいたい。
多分あっちもそう思ってる、絶対そう思ってる。その証拠に、目が、死ぬほど空腹の時に料理を出された風になってる。
不意に、レグサがひそひそと耳打ちをしてきた。何事だろうか。
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