「店長が言ってたんですけど、傘を持ってると、投資家、ってやつなんですか?」
「そうだよ、僕のお仕事は投資家だね」
「どうして晴れの日に傘なんて持ち歩いているんですか?」
「うん?そうだね、投資家が傘持ってるのを知ってる人は多いけど、投資家が何で傘持ってるのか知らない人も結構いるよね、いいよ、教えてあげよう」
男はにこにこと笑って、自分の傘をその場で広げてみせた。
ぱん!と、小気味よい音が雲一つ無い空の下に影を作る。その中で、男が顔を斜めに傾けた。
「投資家たるもの傘を持ち、って、僕たちの間で有名な言葉があってね、まぁあれだよ、何時空が曇って雨が降るかは分からない、その確率は非常に少ない上に予測もつかない、だったら、いつでも傘を持ち歩けって意味、急な雨にその時の時間を潰される方が損だから、一秒を無駄にしない為に傘を持つって事だね」
「へぇ…」
「なーんてのは説のひとつで、実際は投資家のプライドの持ち物だよ、投資家だったら傘を持ってるのが当たり前だよねー?みたいな、昔からの見えない決まり事みたいなものかな」
「………へー」
実はその投資家自体を良く分かってないんだよな。まぁ話題逸らしたかっただけだから別にどうでもいいけど。
そんなサノトの胸中を知らず、男はずいと迫って再びサノトの顔に触れた。今度は逃げ遅れる。
「ねぇねぇサノト君、投資家の彼氏金持ちだし人気あるよ?っていう事で僕なんてどう?」
投資家がどうとかは知らないけれど、確かに金を破り裂くくらいだから金持ってそうだなこの人。
…金持ちか。頭のおかしいヒモよりセクラハしてくる金持ちの方が彼氏にするならマシなのかな。
「いや、なんだその選択、どっちも嫌だ」
「なにが?」
「いえ、あの、すみません結構です…」
「ざんねーん!」
男が全然残念そうでは無い声を漏らしたのと同時に、サノトは自分のまかないを食べ終えた。
しめたと言わんばかりにさっと席を立ち、「仕事があるので!」と体の良いことわりを入れてそそくさと持ち場に向かう。
その背後から、「さのとくーん」と、間延びした声が追ってくる。ちらりと振り返れば、男が、ひらひらとサノトに手を振っていた。
「僕も食べ終わったからトレイ片づけて貰えるかな?」
「あ、ああ、ハイ…」
仕事に戻ったからには仕事を、という事で、自分のトレイをオギに返すと、しぶしぶを隠しながら男に近づき机に置かれた男のトレイを両手に持った、途端。
「うわ!」
「ま、た、く、る、ね?」
何時ぞやのように丁寧に念押しながら、今度は唇の横を相手の唇でかすめ取られた。今までで一番ひどいセクハラにぞわっと肌が粟立つ。
それでも、口が引き攣ったまま「アリガトウゴザイマス」と、相手を殴らず言えたのは死ぬほど偉いと、保身の為、自分によく言って聞かせた。
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