「そうじゃなくて、帰り賃とかでもなくてっ、…帰れないんだ、さっき思い知った」
「何で?」
「多分だけど、アイツが何とかしないと帰れないんだ、…ああ、再確認するの嫌だ、泣きたくなる」
「なん…あーもういいや、ていうか、それなら何でセイゴと一緒に居たの?肝心のアイツさんは?」
「…ついさっき殴り飛ばして別れた」
「え?それヤバく無い?」
「え?な、何が?当然の報いじゃないか?」
「事情が良く分からないから当然かどうかは分からないけど…でも、そいつがどうにかしないと何にもならないんだろ?」
「う、うん、まぁ」
「だったらさ、いくら理不尽でも俺はそいつの傍にいた方が良いと思うけどな、怒ってるだけじゃ何も始まらないって」
「え、え?傍にいてなにすんの?」
「何って、とりあえず仲直りするとか?」
「冗談じゃねぇ、そんな嘘がつけるか」
「このままで居る方が何にもならないと思うけど?」
「……そう、だけど、でも腑に落ちな」
「えー?問題が終わった後にもっといっぱい殴れば良い話じゃない?それならスッキリするだろ?」
「………」
確かに、…それは良いな!
うだうだしてもしょうがないなら騙してでも活路を掴まねば。理不尽は最後の最後に思い切り殴打してスッキリさせよう。その考え方の方が今よりずっと健全だ!
思わず、相手の手を掴み「そうだよな!」とぶんぶん上下に振ってしまう。掴まれた相手は、楽しそうに「ねー」と笑っている。
「まぁ適当言ったけど、彼氏と喧嘩して誘拐だなんて可愛くない冗談言ってないでもう一発殴ってでも早く仲直りしてやりなよ?」
「その通りだよな!有難う!…って、ううん?」
今会話がずれたような…あれ?ずれてないか?まあいいや。
兎に角、帰る方向も方法も分からないままだったがすべき事だけは見えた気がする。
そうだな。カッカしてても仕方が無い。起こってしまったからにはそれなりに動いて対処しなければ。臨機応変とは、今この時の為にあるのだ。
「ありがとな、それじゃあ俺行くから、あ、俺の分のお代…」
珈琲代を払おうと財布を探したが、ふと、持ち金が此処で使えるのか疑問が走る。それを確認する前に、男が「いいよいいよ」と遠慮した。
「セイゴが君の分も置いてったみたいだから、それよりさ、番号教えてよ」
「え?」
「おにーさん面白いし、さっき言ったけどこれも何かの縁だろ?これっきりってのも寂しいじゃない?」
「ああ……」
こういう乗りは自分の所と変わらないなと感じつつ、携帯を取り出そうとして、はっと後ろを向いた。
こっそり取り出した携帯の画面を点灯させると圏外の文字が浮き出た。こんな利便の良さそうな場所でアンテナが立たない訳がない。…異郷だなと、再度実感して空しくなる。
「ごめん、…無い」
携帯を仕舞い込み事実を告げると男が目をぱちっと瞬かせた。
気を悪くさせたかな、と心配になったが、予想に反し、男は瞬いた目を細めて「また振られちゃった」と笑うだけだった。
「まあいいや、じゃあ名前教えてよ」
「サノト」
「ふーん、サノトか、変わった名前だな、あ、俺ギィっていうの、また会いに来てね、サノト」
自分の名前が多少変わっている事は自負しているが、それを差し引いても相手の方が変わった名前だ。とは思わない方が良いのだろう。
此処で変わっているのは常に自分。それが道理なのだ。
「じゃあね、面白かったよ」
軽く手を振って去って行ったギィを見えなくなる迄見送った後、店を出て、丁度目についた中央時計の傍に足を進めた。
たくさんの人の中に立って、自分の状況を今一度整理する。
自分は誘拐され、帰れなくなっている事。
あの列車がこの国でも一般的では無かった事。
アゲリハが何かしなければ帰れない事。
此処で一番問題なのはアゲリハが自分を好いているととち狂った事を言っている事だ。
その所為で此処に来て、そして帰れないも同然になっている。
しかしそれは逆手に取れば利用する手があるという事かもしれない。けれど、どう仕掛けるべきかは謎に満ちている。
こうすればこうする事ができる、という事例が無いものを自分の小さな頭でどう対処すべきなのか。
うんうんと頭を悩ませ、ふっと視線を上げた時、―――はたと目を見開いた。
「………時計が」
それまで考えていた事が全て吹き飛び、視線と思考が時計に吸い込まれる。
多分、今顔を上げて驚いているのはサノトだけだろう。
その証拠に、サノトの周りに居るたくさんの人垣は、一向に、それに目を向ける事も、驚く事もしていない。
こんな大広間の中央に設置された大時計の針が、さかさまに動いているというのに。
此処に来た直ぐには気付かなかった。文字盤がサノトの国となんら変わりなかったので、目にもくれていなかった。
かちかち、かちかち、秒針が左に回り、周回する度に分針がそれを追っていく。ゆっくりと、時計が時間を遡っていく。
生きていく上で当たり前である筈の物が、逆さまに動いている、それだけの違いがサノトの中で大きな衝撃を生んだ。
何もかも忘れて茫然としていると、暫くして後ろから「大丈夫か?」と肩を叩かれた。変な顔をしていたサノトを誰かが心配してくれたのかもしれない。
大丈夫です、と告げて振り返った瞬間、がっと眉が歪んだ。
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