美少女が何事かを言いかけた時、彼女の肩をとんとんと別の店員が叩いた。それから、何かを耳打ちして去っていく。
店員が完全に去って行った後、美少女があーあと延びをして立ち上がる。丁度珈琲を入れ終えて戻ってきた男にに振り返って「ごめん」と手を上げた。
「急用入っちゃった、僕の分ギィが飲んでおいて、お代は此処に置いておくから、あと、領収書蝗の名前で切ってくれる?」
「おー分かった、彼はいーの?」
「ほんとは良くないんだけど、まーいいでしょ、ごめんねサノト!ちょっと急用入っちゃった!直ぐに迎えを寄越すからちょっとだけお茶して待ってて!」
「え!ちょ…っ」
急用って、なんだよ、こんな所にまで連れてきて放置する程大事な用なのか?と、文句を言う前に去ってしまわれては何も言いようが無かった。
暫くは茫然としていたが、ふっと、やり場の無い苛立ちがサノトを包んだ。丁度、店員の男から貰った珈琲のカップにかつかつ歯を立てる。
説明するとか言った癖に訳が分からないままだし、分かってもぶっ飛んでるし、どっか行っちまうし、なんだこれ、なんだよこれ。
何が帰れないだ。無理矢理こんな状況に連れてこられた上に理解不明な否定を食らっては腹が立っても仕方が無いだろう。
大体、無理ってなんだ無理って。来たなら帰れる筈だろう?出口と入口は同じ場所にあるのが常だというのに。
あれか?アゲリハに帰す気が無いから無理ってか?なんでも、アゲリハ様はやんごとなきお方らしいじゃないか。その人の意思には逆らえないってか?
ふざけるな!!そんな理不尽受け入れて堪るか!
「おにーさん」
カップの縁に歯を立てたまま黙り込んでいると急に話しかけられた。
じろりと横を振り向くと、先ほどの店員がサノトの隣でにこにこと笑っていた。
「なんか苛々してんね、どうかしたの?」
「べつに…」
お前には関係ない、という言葉をなんとか飲み込んだ。こんな事は他人にぶつける怒りでは無い。
「なぁ、俺今休憩貰ったんだ、もしよかったらちょっと話そうよ」
丁度、美少女が退いた席に男が座り込み、頬杖をつきながらサノトの顔を覗き込んできた。
ず、と少し冷めた珈琲を飲み込み、邪魔だなぁと真剣に思う。
結局「どうでもいい」と冷たい態度をとってしまったが、男は気にした風もなく、何処からか用意していた水を口に含んだ。
「おにーさん、珈琲美味しい?俺が淹れたんだけど」
「ふつう」
「ええ?酷いな、美味いでしょ?」
「ふつう」
「なんでー?あ、じゃあ淹れ直そうか?」
「いらない」
なんだよ、うるせぇな。いるだけでも苛々してるのに、こんなどうでも良い話をされたら余計に腹が立ってしまう。
しかし、見ず知らずの相手に訳も無く怒鳴るのは嫌だったので、何とか理性を崩さず、話を切り上げるタイミングを計った。が。
「そんなカリカリしないでよ、此処で会ったのも何かの縁じゃん?俺とお兄さんの運命かもしれないじゃん?」
「―――運命とか言うな!!」
怒鳴りたくは無かったのに、胸糞悪い単語を聞いた瞬間勢い良く声を荒げてしまった。
すると、男が茫然とした顔でサノトの顔を見つめてくる。その顔を見た途端、きゅ、と興奮が萎えた。
「…悪い」
普段ではやりようも無い行動に落ち込んでいると、茫然としていた男が、ふっと眉を顰めた。
「吹っ掛けてる時に怒鳴られるなんて初めてだな、…何?マジでなんかあったの?」
機嫌を損ねたかと思いきや、心配そうに尋ねられたので余計に気分が萎えてしまった。
「あ、もしかして彼氏と喧嘩してるの?」
「は?」
「だってセイゴの上司の彼氏なんだろ?ちらっと見た事あるけどスゲー綺麗な人だよな、俺の好みじゃねぇけど、どっちかっていうとおにいさんのほうが」
「か、彼氏?」
「わあ、聞いてない」
何だかとんでもない話をされている気がする。冗談っぽいけど、根本が冗談じゃなさそうな所が恐ろしい。
男が男を彼氏と普通に呼ぶ、これが異世界か、なんてファンタジーなんだ。
「何驚いてんの?」
「い、い、いや…常識の違いを実感してる」
「はい?」
「いや、ごめん、えーとセイゴってあの子の事かな?あの子の上司…」
アゲリハの事だよな、うん。話の流れ上間違いなく。
「…あの、彼氏とかじゃないんだ」
「あれ?セイゴはそう言ってたのに、違うの?ふーん?」
唇をひと舐めした後、男が興味深そうに身を乗り出してきた。
「おにーさん、何を苛々しているのか知らないけど俺で良かったら話聞くよ、ちょっとはスッキリするかもよー?」
「べつに…」
「が、似合わない位眉間に皺寄ってるよ」
「………」
男がサノトの眉間に指を差し、にやにやと笑った。今度は心配というより野次馬のようだ。
ぶしつけな雰囲気に若干苛立ちが戻ってきたが、ふと、思いついて口を引き結ぶ。
―――話す、というか、この国の人間ならば多少交通(?)事情に詳しいのではないだろうか。
もしかしたらもしかして、間接的にでも、帰り方を知っているかもしれない。
けれど、何から聞けば良いのだろうか、帰る方法?経緯?
…いや、違うな、重要なのはアレだ、アレ。
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