「サノト、サノト、私は楽しかったんだぞ?サノトと居て楽しかったんだぞ?サノトが優しくしてくれてうれしかったんだぞ、拾ってくれて嬉しかったんだぞ。わ、わたしは、お前が…っ」
「あーもー…言わなくていーよ」投槍な口調で身体を持ち上げる。
何時の間にか、手に熱が戻っていた。
「いっそ、皆悪いってことにしようぜ。お前は当然悪いけど、美紀も我が儘過ぎて悪かったし、俺も色々悪かった。そういう事にしよう」
「…ゆるしてくれる?」
許すも何も、もう無いな。そう思った方が気持ちも楽だった。
「おい、アゲリハ」もう一発、今度は額をばちん!と叩く。相手が「…!」痛そうに唸る。が、その一発の文句を耐えた。
「…もうすんなよ」
…あれ?これ、結局許してるってことかな?まぁいいか。
「………っ」
「なんだよ、その顔」
「…いや。ただ…お前の言い方が、その、なんだ。不思議と、…たまらなくてな」
「ん?」言葉の意味がよく分からず首を傾げていると、アゲリハが上からぎゅうと抱き着いてきた。まるで、ぬいぐるみのようにサノトを抱える。
離せと、サノトが言う前に、直ぐに腕を退けた。
「サノト、私は決めたぞ、ーーーもう迷わない」離れる寸前。アゲリハが、そっと、サノトの耳になにかを囁いた。
*
早朝直ぐには美紀からの連絡はなかった。もしかしたら、あの時の衝撃で精神的に動けないのかもしれない。
しかし、いずれは来ることだろう。結果的には何事も無かったとはいえ、あれは立派な殺人未遂だ。
我に返った美紀は必ず怒る筈だ。それを避けては通れまい。
色々と考えた結果、サノトはアゲリハを先に動かせることにした。
もし、美紀とアゲリハが警察に立ちあうような展開になれば、仲介の立場に居るサノトが説明に回されるに決まっている。
けれど、サノトはアゲリハに対しての認識をほとんど持っていないし、これだけぶっ飛んだ性格をしている彼を、ひとに説明出来る気がしなかった。
加えて、外国から来たとなればもっと話がややこしくなるだろう。
これ以上の厄介は本気でパンクしかねないので、美紀には悪いが、誤魔化してしまった方が何かとマシな話である。
早速、朝食を食べていたアゲリハに「おい、昨日のことで警察が来る前に、お前もう帰れ」ほぼ命令の提案をした。
すると、パンを口に入れ、もごもごしていたアゲリハが、直ぐに頷いて見せた。
てっきりごねるかと思いきや、意外に素直で感心した。
帰るのは良いが、どうしても見送って欲しいと言うので、サノトは出かける準備を簡単に済ませた。
アゲリハも、初めに出会った時の服に着替え、扉の手前でにこやかに待機している。
アパートから出発し、アゲリハの先導で進み、一般公道に出た瞬間、道行く人がアゲリハに振り返り、そして目を逸らした。
…個性を重んじるって、大事だけど複雑だ。彼の姿を見ていると、余計にそう思う。
「そういえばさ」最初に出会ったコンビニに近づいた時、サノトはふと疑問を覚えた。
実はずっと疑問に思っていた事なのだが、気にするなと言われたのでなるべく気にしないようにしていた。しかし、直面すると再び首が擡げた。
「何だっけ?お前の国。トンカツクッキーだっけ?」
「ちがう。トーイガノーツだ」
「そうそう。それ、結局何処にあるの?」
海の向こうであることは間違い無いだろうけど、どれくらい遠いんだろう?
「…そうだな。強いて言えば、空の向こうかな」
ああ、飛行機使うんだ。それじゃあ列車で今から空港に戻るのかな?あ、だから切符も買えたのか。今更納得した。
駅の前まで辿り着くと、そこでさよなら―――するかと思いきや、アゲリハが突然サノトの手を掴み「こっちだ」何故か右折して、そのまま横道を歩き始めた。
「え?え?」戸惑うサノトを連れて速足で歩き続け、暫くすると、背の低い柵を乗り越え、何処かのレールの中に入ってしまった。
慌てて止めようとしたが、アゲリハがさっさと先を歩いてしまうので、中々止められなかった。
「…?」線路の傍を歩いていると、段々、その様子がふつうの物より寂れている事に気付く。
草に覆われ、枕木は割れ、レールは錆びている。
よくみると、向こう側のレールが道路に分断され、線路としての機能を殺されていた。列車が通っている気配も無い。
「此処は廃線が綺麗に残っているな」サノトの疑問が伝わったのか、アゲリハがのんびりと応える。
「はいせんって…?」
「なんだ。こんなに近くに住んでいるのに知らなかったのか?恐らく、過去、統廃合か何かで線路の一部が廃止されたんだ。此処は、それが解体されずに残された、使われなくなった線路の跡だ」
「都合が良かった」と、アゲリハが言った。何がと聞けば「あれは目立つからな」と、またのんびり応える。
その口調とは裏腹に、歩く速度が落ちる事はなかった。
やがて、景色がマンションとマンションの間に挟まれた。
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