けれどそのうち、心配がつのって、もう少し近くで確認するようになった。大学ですれ違ったり、買い物の途中で傍を通り抜けたり。家の前にわざと立ってみたり。
猫汰は気づかなかった。とても自然に、豪星を他人だと認識しているようだった。
半年と少しばかりが過ぎて、彼と結婚するはずだった6月になり、豪星は。
とうとう安心しきってしまった。
もう、なにをしても猫汰は気づくまい。
豪星と長年そばにいたことも、好きだと言い合ったことも、お互いの夜を数えたことも、思い出しはしない。
彼の中から豪星はいなくなってしまったのだ。
そう確信した、昼のこと。
「龍児くん」
そばで本を読んでいた友達に語り掛ける。
「おれ、明日になったら出ていくよ」
あてはないけど、きっと協会がなんとかしてくれるだろう。
「今までありがとう」
目で笑って、頭を下げると、「そっか」友達は静かに頷いた。
龍児と過ごす最後の夜。豪星はひさしぶりに夢を見た。
いつのまにか真っ暗なところにいて、しゃがみこんでいる。その肩を、誰かが抱きしめていた。
この感触は猫汰さんだ。間違いない。何度も何度も抱きしめてもらったから。
ひどく懐かしい。この感触を忘れるものか、忘れたりなど。
「せーちゃん」
優しい声で名前を呼ばれる。猫汰だけが呼ぶ豪星の名前。久しぶりに聞くその声が恋しくてたまらない。
「せーちゃん。俺もう行くね」
猫汰が立ち上がる。手の感触がなくなり、「ばいばい」と告げる彼の声が遠ざかっていく。
「―――――まって!」気づけば、行ってしまった彼に手を伸ばしていた。その拍子に転げて、すぐ、立ち上がって追いかけようとするのに、走っても走っても猫汰に追いつかない。
彼はどんどん遠くへ行って、豪星を振り向きもしない。
「まって!まって!猫汰さん!」叫んでも届かない。やがて姿は小さくなり、暗闇の向こうにかすんでしまう。
「まって……」絶望が胸をおおって。たったひとつの願いが弾けた。
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