「――ただいま」
誰かの家で「ただいま」と言えるようになってはや幾月。
聞き落としてしまいそうなくらい小さな龍児の声に、いちはやく反応したのはこの家の主、須藤だった。
龍児が玄関の縁でじっと立ち尽くしていると、簡単な履物に足を通した須藤が、縁にこびりついたままの龍児に近付いてきた。
嬉しそうな表情で、「おかえり」と、わざわざ頭をなでてくる。
…初めのころは、その気安さが嫌で嫌で仕方がなかったが、今は、不思議と複雑の間を漂っている。
暫く「風呂に入るか?」とか「飯出来てるぞ」とか、色々な口で構い倒していた須藤だったが、その内、龍児の手元に例の物――茶色の紙袋が消えている事に気付くと、にやにや笑て、今度はパンパンとわざとらしく肩を叩いてきた。
あからさまなからかいを感じて、咄嗟に腕を払ったが、向こうは気にした風も無さそうだ。
「ちゃんと渡せて良かったな」と、やはりからかい交じりに問われ、咄嗟に言葉で噛みつこうとしたが…やめた。
態度を噴火させなかった龍児に、もう少し面白がろうとしていたらしい須藤が、「なあんだ」と肩を落とした。
靴を脱いで先を歩き始めた龍児の背に続いて、須郷も自分の家の中へ戻っていく。
「おい、どうだった?豪星、喜んでくれたか?」
「………うん」
若干、尾を引いていた苛立ちが、「豪星」の一言で不思議な程なだらかに崩れて行った。
ふりむかないまま素直に頷くと、今度は胸に、穏やかな気配が吹きこんできた。
須藤が再びからかってくるかと思いきや、「よかったなぁ」と、労りをしみじみ口にした。その言葉が、とても的を得ていると、ふと思った。
自分達が今会話に上らせていることは、なんてことはない。たかだか、友人が友人に、誕生日のプレゼントを渡しただけのことだ。
しかし、龍児は渡せて「良かった」と思い、あと、彼が誕生日を迎えた事も、彼の誕生日をささやかながらも祝えた事を「良かった」と思っている。
だから、「良かった」という言葉が、今、一番、龍児の気持ちにしっくりと馴染むのだ。
何かが終わる事に対して、こんなにも気分が良くなる事があるなんて、龍児は今日を体験するまで知らなかった。
知りたいと思ったことは一度も無かったのだけれど、知れて良かったと思う位には、大変満ち足りた気分だ。
ほうと、息を吐いた瞬間、車のエンジンを吹かしたような駆動音が、龍児の腹部からいかんなく発揮された。
鳴らした本人よりも、隣に居た須藤が「うお!?」と、音に驚く。
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