「何なんだお前は…」
呆れたように呟く須藤の前で、龍児が頬袋になる程食事を詰め込んでいた。
物凄い食べようだ、どうやったらあそこまで詰められるんだろう。
けど、さっき何か食べられないとか何とか言って無かったっけか?
初日から微妙に疑問だったけど、一体全体何の話なのだろうか。
首を傾げながら、今日のメインディッシュである鳥の甘酢あんかけに箸を伸ばす。
端がカリッとあがり、いかにも美味しそうな風貌だ。
思わず唾を飲み込む、が、あと少し、箸が鳥にくっつくという所で、さっと横から浚われてしまった。
あ、と小さく落胆の声を上げる豪星の目の前で、もしゃもしゃと物を咀嚼する音が聞こえる。
ぱっと顔を上げれば、龍児の相変わらず頬をぱんぱんにさせている姿が見えた。恐らく、中身の一部は先程の鳥肉だろう。
…そんなに入ってるなら譲ってくれてもいいのに。
恨めしく思っていると、それがつい相手に伝わってしまったのか、急に龍児がじろりとこちらを睨みつけてきた。
慌てて顔を伏せたが、龍児は事もあろうか、豪星の方を向いたまま食事を続けた。
やがて、ごくんと大きく喉をしならせ頬の中身を片付けると、「おい」と、龍児が唐突に話しかけてきた。
「おい」
もう一度呼ばれた時、漸く豪星は恐る恐る顔を上げた。
すると、眉間に大きく皺を寄せた龍児が、鋭い目つきでじっとこちらを凝視しているのが見えた。
怖い。怖いけど呼ばれた以上、何か返した方が良いのだろうか、しかし何を言えば…と、考えあぐねている豪星に代わって、龍児がまた急に、しかしはっきりとした口調で言った。
「後で付き合え」と。
付き合え、などと言うものだから、てっきり何処ぞへ行く物かと思いきや、予想に反し、龍児が向ったのは須藤の家の裏口だった。
人気の無い廊下を抜けて土間に近づき、隅に置かれていた草履を履くと、豪星が先に、龍児は後から外に出た。
明り一つ無い薄暗いそこで、不意にくるっと龍児が豪星に振り返る。
龍児が振り返った瞬間、何処からか埃が舞ったらしく、片目に違和感を覚えた。
瞼を閉じて、こちらを向いた龍児にちょっとごめん、埃が、と、――言う間も無い一瞬の事だった。
ガン!!と、唐突に殴られた。かなりの予想外に痛覚を忘れる程茫然としたが、暫くすると左の腕が凄まじく痛んだ。どうやら、かなり強い力で殴られたようだ。
「―――いってぇぇえ!!」
一拍遅れて叫び、腕を抑えてその場を転げ回る。あまりの痛みに千切れそうだ。
背中と腹を粗方汚した後、はぁはぁと、荒い息を零しながら目を見開いた。
…好かれていない自覚はあったが、まさか影で殴られる程嫌われていたとは思わなかった。
訳の分からないショックが豪星の頭を過って、痛みと衝撃から少しだけ涙腺が緩む、が、余韻迄過ぎ去った後、ふと顔が歪んだ。
嫌われているとはいえ、此処までされる謂れはあるだろうか?
少なくとも豪星には、何故か相手に嫌われているという自覚はあっても、相手に何かをしたという自覚は無かった。
精々、少し顔を突き合わせて、食事と就寝を共にしたくらい。何かをしてきたのは全部あっちの方だ。
冷静になって考えてみた途端、急激に理不尽さが込み上げてきたが、…ふっと、せり上がった気持ちを理性が押さえた。
此処で喧嘩などして、須藤に迷惑をかけたく無かったのだ。
唯でさえ親切から拾われただけの居候なのだ、出来れば常時平穏であることが今自分に出来るせめてもの恩返しだろう。
それは屹度相手にとっても同じ事の筈なのにと、恨めしげに相手を見上げた瞬間…あれ?と目が瞬いた。
屹度、イイ気味だとこちらを嘲笑しながら見下ろしているもんだとばかり思っていたのだが、何故か…相手は豪星の目の前でがくりと膝を折っていたのだ。
地面に手をつけ、首を落とす、見るからに「がっかり」のポーズだ。
「…………ちがうかやっぱ」
ものすごーく残念そうな声で謎の言葉を呟き、弱弱しく地面を叩く。豪星の姿など、もう目にもくれていない様子だ。
「だ、大丈夫?」
彼の背中から漂う悲壮感が半端なくて、ついわが身を振り返らない言葉をかけてしまう。
途端、龍児がぱっと顔を上げ、口と眉をひん曲げた。
「それはお前だろ」
「まぁ、その通りなんだけど」
「……へんなやつ」
「……それはお互い様じゃないかな」
ぽろりと失言を零してしまったが、龍児はふんと鼻を鳴らしただけでそれ以上顔を歪めなかった。
暫くその場で膝を折っていた龍児だったが、やがて服を叩いて立ち上がると、すたすたと歩き去って行ってしまう。
しかし、扉の前まで来ると一度足を止め、その場に佇んだ。それから、くるっと豪星の方に振り返る。
「………急に殴って悪かった」
「え?」
「来い」
豪星を再び誘いだすその声が、何となく、バツの悪そうなものに聞こえたのは気のせいだろうか。
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