見知らぬ場所から見知った場所へ、膝から下がずきずきと痛み始めても、足が棒になる迄走った。

漸く辿りついた部屋の前で、豪星はがくんと膝と肩を落とす。

(にげ、られた!)

一度大きく息を吸って、落としていた肩を真上に上げる。

声を上げる事は出来なかったが、気持ち的には歓声を上げたい気分だった、それ位奇特な状況に置かれていたと思う。

大体、助けられたかと思えば、勘違い男に迫られる事態になるなど誰が想像出来ようか。…現実は小説より奇なりってこういう事言うのかな。

なんていうか、残念なイケメンだったなぁと今更ながらに思う。

何が残念かって、行き倒れの戯言を本気にする辺りが残念だ、むしろ、あんなに顔が良いのに男に走るのが残念だ、ついでに言うと頭も残念そうだった。

まぁ、もう会う事も無いだろうから、何がどう残念でも良いんだけどさ。

暫くぼうっと立ちつくしてから、…癒されたくなってドアノブを捻った。

8畳1K、自分の年齢では物珍しい独り暮らしの根城、いや、正確には独り暮らしではない。

「ただいまぁじろー」

就寝を共にしている家族を控えめな声で呼ぶと、きちんと声をキャッチした相手が「きゃん!」と声を上げて走り寄ってきた。

次郎、と呼ばれた―――犬は、豪星の足元に迄辿りつくと、ぐるぐると周回し、やがてぺたりと床に座り込んだ。

お座りをして、撫でて貰うのを待機しているのである、ぐっと来る程愛らしい。あぁあ、俺の次郎、マジ天使。

「ごめんなぁ遅くなって、良い子でお留守番してたなぁ、よしよし」

「きゅぅん!」

抱っこして、もふもふの毛を撫でまわすと機嫌の良い鳴き声が響いた。

調子に乗って余計に撫でまわすと、次郎も余計に調子に乗ってきゃっきゃとはしゃぎ出す。

暫くはその愛らしさを堪能していたが、お隣からどん!と壁を叩く音が聞こえてはたと我に返る。

そういえば夜更けだった事を思い出し、豪星は慌てて戯れを止め次郎を床に下ろした。ついでに鞄も適当に下ろすと浴室に向かう。

シャワーを浴びて部屋に戻ると、ゲージの近くに立て掛けてあった折り畳みの机を取り出し、その上に引き寄せた鞄の中身を並べた。

正直、色々あってもう眠かったが、今日やるべき課題がまだ一つも終わっていなかった。

遅れると痛い目を見るのは自分なので、震える瞼を叩いてノートに向き合った。

何処かで貰った企業の名前入りシャープペンシルをこりこり動かし問題を解き進めていく。

「……はらへったなぁ」

大体目途がたった所で一端ノートを閉じ、立ち上がって奥の小さなキッチンに向かった。

湯を程々に沸かし、75円カップ麺に注ぎ入れ、ぱんと手を合わせる。

「いただきまーす」

小さなプラスチック容器からお粗末な熱気が立ち上る。

半透明の露に箸をつけると、一気にかきこむ事はせず、なるべく、小さく小さく食べ進めた、勿論露は一滴たりとも残さない。

ふと、尻元に柔らかい感触がした、振り返って見れば、何時の間にかゲージから出てきていた次郎が、豪星の傍で眠っていた。

すぴすぴと可愛らしい寝息を立てる次郎にほっこりしながら、その背を撫でる。

撫でる度、気持ち良さそうに身体をぴくぴくさせる次郎を見ていると、疲れが端から溶けていくようだった。

「なー、次郎、今日凄かったんだぞ」

この癒し効果ならば、ついでに今日の出来事も溶かせるんじゃないかと、ちょっと馬鹿げた事を思いつく。

「新しいバイト探しに行こうと思ったらさぁ、道で倒れちゃって、そしたら、…なんでかなぁ、イケメンが俺を助けてくれたんだ、けど、変な人でさ、結婚しようとかダーリンとか、どっちもオスなんだけど、わらっちゃうだろー?」

暫くは喋り続けたが、その内机に突っ伏して眠ってしまった。

机に伏してみた夢は、空腹の夢、豪星を強く蝕んだその苦しみは、悪夢となってその日の夜を駆け巡った。

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