「原野?どうかした?」

「い、いや、なんでも……ごめん豪星俺ちょっと腹痛くなったからトイレ……」

「え?大丈夫?」

「だいじょうぶだいじょうぶ!」腹痛を訴える原野が、体調不良の割には俊敏な動作で半回転をし、教室を出ていった。

ほんとに大丈夫かな。と、クラスメイトを心配する豪星の隣で。

「もー、ダーリンが真面目なのは変えようがないからしょうがないか。

だーりん、お掃除がんばってね。俺、下駄箱で待ってるから」

さきほどまで駄々をこねまくっていた猫汰が、さらりと様相を変えて、から、原野と同じように教室を出ていった。

教室に残された豪星は、二人のあわただしさを不思議に思いながらも、とりあえず掃除をしようと用具箱に近づいた。その時。

「……ごうせぇええええええ!!」突然、背後から名前を叫ばれ心臓が飛び跳ねる。

「な、な、なに!?」急いで振り返ると、そこには、先ほど腹痛で教室を出ていったはずの原野がいた。

「あ、あれ?原野?おなかだいじょうぶ?」

「だいじょうぶ!もうめっちゃ元気だから!
そ、それよりさぁ豪星、今日の掃除当番、俺が代わってもいいかな!?俺いますっごく掃除がしたくって!もう掃除しないと死んじゃいそうな気がして!!」

「ええ??なにそれ?まだおなかいたいってこと??」

「ちがう!!おなかもういたくない!そうじゃなくって!いいから豪星そうじかわって!!」

「ええ??でも今日は俺が当番だし」

「いいからかわってぇえええええええええええええ!!」

あまりに懇願されるので、「そ、そんなに言うなら……」と、豪星のほうが根負けしてしまった。

なんだか今日の原野変だなぁ。と思いつつ、帰り支度をはじめ、一応、「原野、本当に良いの?俺帰っちゃうけど」当番を代わってくれた相手に確認をとると、「あたりまえだろ!!一秒でも早く帰れ!!いや帰ってくださいお願いします!!」必死のていで帰宅を促された。

ますます、変だなぁ?と思いながら、猫汰が待っている下駄箱に向かうと。空っぽの傘立てを椅子替わりにしていた彼が、豪星の姿を見つけるなり、「あ、だーりーん!」嬉しそうに立ち上がった。

「おつかれさまー、おそうじ早かったね?もう終わったの?」

「はい……いや、終わったというか、原野がなんでか、どうしても俺と掃除を代わってほしいって言いだして。なんか変だったなぁ、原野の様子」

「へー?そうなんだ。
あれじゃない?彼女から別れのメールでもきて、やけくそになってるんじゃない?なにかしてないと落ち着かない、みたいな」

「ああ、なるほどー」付き合ってる彼女がかわいくて仕方ない。みたいなこと前々から言ってたし、ふられたんならあの様子もうなずける。

「じゃあ、今日は原野のやけくそな好意に甘えて帰っちゃいましょうか。

猫汰さん、からあげ屋さんに行きましょう」

「うんうん!行こういこう!……ててて、」

豪星の腕にぴったりとくっついた猫汰が、不意に片手をかばいながら眉をしかめた。「どうしました?」少し距離をとってから尋ねると。「うん、ちょっと」猫汰が片手をさすりながら、へらっと笑う。

「殴る勢い間違えて筋いためちゃった……えへへ」

「なぐる??」

「ダーリンがかわいいから、俺毎日そのへんぶん殴ってるの」

「へー」不思議な習慣だけど、まあ、猫汰ならやりかねない。

「それよりダーリン、いこー?」

「はい、行きましょう」

「そうだ。からあげ食べたらそのあとみつの店も寄って行かない?みつがダーリンに会いたがってたよ」

「そうなんですか?じゃあ行こうかな」

「いこいこー」

帰宅後の行先を決めたあと、猫が改めて、豪星の腕にからみついた。



からあげを食べたあと、先述通り光貴の店へと赴いた。

夏ぶりとなる光貴の店は、中に明りが灯っているものの、看板の表示は「準備中」。

「あれ?まだ開けてないのかな?」猫汰がいぶかしそうに看板を眺めてから、次の瞬間、「みつー!いるんでしょー!」ためらいなく扉を開いた。

「みつー!ごはんつくっ……あれ?ハルしかいないの?」聞きなれない単語が猫汰の口に並ぶ。続いて、「ねこさーん!ひさしぶりー!」知らない男の声が店の中から聞こえてきた。

豪星も店の中に入ると、カウンターキッチンのほうに見知らぬ男が立っていた。

「ハル、みつは?」

「光貴さんは奥の冷蔵庫のほうだよ。すぐ戻ってくるから」

その言葉通り、数秒後には、「あ?猫汰じゃねぇか。まーたお前、準備中の看板無視して入り込んできやがったな」店の奥から光貴が出てきた。

「春弥。お前ちゃんとこいつ叱ったか」

「叱ったところで猫さんが出ていくわけないでしょ」

「そうだけどよ。言っておくのとおかないのじゃ全然違うんだからな」

「はいはい。すみませんでした。それより光貴さん、探してたものあった?」

「お前反省してんのかまったく……」

言葉に多少刺はあるものの、親し気に喋る二人は、仲の良い店員と店主。と言った風だ。実際そうなのだろう。

豪星は、じっと、店員と思しき男の方を見た。男は、20代半ばの、優し気な好青年だった。猫汰ほどではあにものの、10人が彼を見れば9人はかっこいいと口を揃えて言いそうな、甘い顔のイケメンである。

「…………?」その顔に、ふと既視感を感じて、豪星は首を横に傾げた。

なぜだろう。彼の顔に見覚えがある。初対面のはずなのに。

昔どこかで会ったことがあるのだろうか?

…………。

……あ!思い出した!

「あおはるだ!」頭のもやが晴れると同時に、思わず叫ぶ。

突然叫んだ豪星に、当然、その場に居た全員が目を丸くさせた。にも拘わらず、豪星はカウンターに駆け寄って、店員の彼にカウンター越しに詰め寄った。「あおはるさんですよね!?」

「……あれ?きみ、俺のこと知ってるの?」ぽかんとしていた彼が、徐々に理解を浮かべていく。

「そうそう、俺、あおはるだよ。青春って書いてあおはる」

「やっぱり!サインください!」

色紙もないくせに勢いで頭を下げると、「ええ!よしてよー」男が恥ずかしそうに両手を振った。

「俺もう、そっちの仕事してないからさ、一般人がサインくれって言われても困っちゃうよ」

「え!?やってないんですか!?」

「うん。やめてからもう随分経ってるし、やってる時も全然売れてなかったから、まさか未だにそんな事言ってくれる子に会えるなんて思わなかったよ」

「どうしてやめちゃったんですか……?」

「色々あってね。俺には結局むいてなかったみたい。
今は光貴さんのお手伝い兼めしつかいですよ。だからサインはあげられません。ごめんね?」

「いえ、あの、こちらこそ急に変なこといっちゃって……」

すみません。と、頭を下げようとした豪星のうでに、どんと衝撃が加わる。おどろきざまに振り返ると、となりに居た猫汰が、くちびるをとがらせているのが見えた。

「ねぇダーリン。ずいぶんハルのこと好きみたいだけど、なんで?」

「いや、むかしちょっと……」

あおはるは、豪星が昔好きだった特撮番組に出演していた役者だった。

主演ではなかったし、他の役者よりも華々しくはなかったけれど、演技が上手く、なにより優しい笑顔を浮かべる様が、幼い豪星には好ましかった。

けど、その番組が終わってしまってから、彼がテレビに出る機会は少なくなり、火を吹き消すように消えていった。それと同時に、豪星も、彼のことを忘れ去っていったのだが。

まさかこんなところで会えるとは思いもしなかった。と、喜ぶ豪星に対し、猫汰の口がますますとがる。

猫汰は不意に、あおはるの彼に目を向けると。「おいハル。ダーリンがかわいいからって手ぇ出すなよ」とんでもないことを言いだした。あおはるの彼が、「いやいや猫さん」目の前で両手を振る。

「それはないから、ぜったい」

「どーだか?」

「ん?猫さん。手を出すなってことは、彼が例のダーリンなの?」

「そーだよ」頷きながら、猫汰がべったりとくっついてきた。

わぁ。俺、好きな元芸能人にもホモ認定されちゃうんだー。

てっきり引かれるかと思いきや。……なぜか、あおはるの彼が、目にきらきらしたものを浮かべ始めた。心なしか熱がこもっているような。

「すごい!こんな近所でうちと同じようなカップル見るなんてはじめてだね光貴さん!」

「あ、こら!」それまで黙っていた光貴が、しまった!と言わんばかりの声を出す。

「ねぇダーリン君。きみどっちなの?上?下?良かったら聞かせ」

「春弥!お前ちょっと奥行ってにんじん取って来い!」

「え?あ、はーい」

あおはるの彼が言葉を言い切る前に、光貴が奥に行くよう命令する。

彼はそれに従い、すぐ、奥の方に去って行った。それを見届けた光貴が、顔を片手でおおい、「あのバカ……」とつぶやく。

「はははっ」猫汰が、にやにや笑い出した。

「みつ、べつに隠すことないんじゃない?」

「どこで誰が聞いてるか分からないだろ……俺は近所に、このことばれたくないんだよ」

「なにいってるの。本当は見せびらかしたいくせに」

「心情と世間体はべつだってぇの」

「俺はダーリンと付き合ってること周りに言ったよ?学校中に自慢しちゃったもんね」

「まじかよすげーな猫汰。
けど、人類全部がお前みたいに鋼の心を持っているとは思うんじゃねえぞ……」

「生きづらいねー?」

「そういう問題じゃ……まあいい。この話はここまでだ」

そう言って、光貴がそれまで動かしていた手をとめて、なにかを豪星と猫汰の前に差し出してきた。

差し出されたのは大きな黒い器で、中にはとろみのある汁があふれんばかりに入れられていた。

「これどうしたの?」猫汰が光貴にたずねると。

「新作のメニュー!」光貴が、自信たっぷりに答えた。

「この前二人で旅行に行ってきたんだけどよ、旅先で食べたメシが美味くて再現してみたんだ。

ほんとは俺と春弥で試食してから客に出すつもりだったけど、せっかくだしお前らも食べて行けよ」

「わーいやったー!」

「ありがとうございます……すみません」

「いいって良いって!そのかわり感想よろしく」

猫汰が、はーい!と返事をして、豪星が、いただきますと頭を下げる。

それから、添えられていたスプーンを手に持ち、ひとくち、器の中身をすすると。「うわぁ、おいしい」感動にしびれた。

薄味のあんに湯葉が混ざっている。一番下には白米が隠れていて、まぜて食べると至福の味わいになった。

「みつ、これ美味しい」

「美味しいです光貴さん」

同じ賛辞を同時に贈ると、光貴が満足そうに笑った。

「じゃあ、今日のメインはこれでいくかー」光貴が、店の壁にかけられていた小さな黒板を取り外し、そこに文字を書き足していく。最中。

「あー!」誰かが側面から声を上げた。びっくりしてスプーンを落とした豪星と猫汰の目の前に、にんじんを持ったあおはるの彼が突如現れる。

彼は豪星と猫汰の目の前を通り過ぎると、ぎょっとしている光貴につかつかと詰め寄った。

「光貴さんひどい!それ一番初めに俺に食べさせてやるって言ってただろ!」

「お、おいおい。そんなことで目くじらたてるなよ……いいだろ別に、一番目でも二番目でも」

「こういうのは真っ先に彼氏に食わせたいだろって言ったの光貴さんだろ!」

「あ!バカ!またそういうことあけすけと……!」

「ひーどーいー!」

悶着している二人のかたわらで、豪星は数秒、考え込んだあと。

「猫汰さん」となりの猫汰に振り返った。

「あの、つかぬことうかがいますけど……あのふたり、もしかして付き合ってます?」

「つきあってますねー」

「なるほど……」さっきから、もしかして?とは思ってたけど。大当たりか。あおはるの彼じゃないけど、こんなご近所に豪星たちと同じようなカップルいるなんて豪星も思わなかった。

そして一連の行動から察するに、光貴は隠したい派で、あおはるの彼はオープンでおっけー派なわけだな。

「……俺は光貴さんに同感だ」

「ダーリン、なんの話?」

「いえ。なんでもないです。猫汰さんには関係あるけど多分ありません」

「ふーん??」

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