来たる土曜日。午前の10時半。

駐輪場から自転車を取り出した豪星は、須藤の家に向かうため、サドルにまたがり発進した。

今日は雲ひとつない晴天だというのに、あまり気温が高くない。季節もそろそろ、秋冬に向けて落ち着きを見せてきたようだ。

見知った町の中を通り抜ける最中、豪星は何度も立ち止まってはあらかじめコピーしておいた地図を取り出し、須藤の家の方向を確認した。

やがて、豪星の半月前の記憶と、地図上の記号と、景色が合致し、その一番向こう側に須藤の家が見えた。

無事たどり着けたことにほっと安堵しながら、豪星は残りの数メートルを自転車で走り切った。

庭の手前で一旦自転車を降り、自転車を押しながら須藤家の中に入って行くと。

「お?豪星?」屋敷の前で煙草を吸っていたらしい須藤が、いちはやく豪星を見つけ、手を振ってくれた。

「思ってたより早く着いちゃいました。すみません」

携帯の時計を見ると、まだ10分前だった。

「いいんだよ!そんなの!」手を振っていた須藤が、嬉しそうに近づいてくる。

「まあとりあえず中入れって。龍児がお前のこと、まだかまだかって待ってるんだよ」

豪星の一歩手前で立ち止まった須藤が、振り返りつつ、豪星を玄関へといざなう。その背につられて歩きながら、豪星は半月ぶりの須藤家の玄関をまたぎ、同じように、半月ぶりの居間へと入り込んだ。

「おーい!豪星きた」ぞ、と、須藤が言いかけて。

「しー!」中にいた沙世に止められた。須藤の目が白黒するも、数秒後には、目線を下に下ろして「ああ」と頷く。

「なんだ龍児、寝ちまったのか」

「ええ、そうなんですよ」ごろんと寝そべった龍児に布団をかけながら、沙世がふふっと笑う。

「ついさっきまで頑張って起きてたんですけど、夜更かししたからねむくてしょうがなかったみたい」

「夜更かし?ゲームでもしてたんですか?」

「ばっか豪星。ちがうだろ。お前に会うのが楽しみすぎて眠れなかったんだよ」

なんでも、昨晩の龍児は就寝のため布団に入るも、まったく寝られず、何度も何度も起きてうろうろする音が聞こえたのだという。

「それはまた……」うれしいやらむずかゆいやら。

ほっこりしている豪星の傍で、その時、「ごーせー……」吐息まじりに名前を呼ばれた。振り向くと、いつのまにか起きたらしい龍児が、顔をごしごし擦っているのが見えた。

「りゅうじくーん」龍児の目の前に屈み、顔の前でひらひら手を振ると、ぼんやりしていた相手の顔が、じょじょに輝いていった。

「ごうせー!」喜びの叫びから、ついで飛びつかれ、馬乗りされる。

「ぐぇっ!りゅ、りゅーじ君くるしいよ……」

「やっときたのか!おそいぞ!おれずっと待ってた!」

「ご、ごめんね。早目に出たつもりなんだけど……」

「いいんだ!あそぼう!」

「ははは、直球だなぁ」

相変わらずな龍児の口調に苦笑していると、いつのまにか居間からいなくなっていたらしい沙世が、引き戸を開いて入ってきた。手には、お茶が人数分と、お菓子らしきものが乗せられている。

「おやつですよー。今日は伊馬屋のどらやきなの」

「おおいいな」

机におやつとお茶が乗せられるなり、龍児がさっそく、どらやきを三つ確保した。

包装を乱暴に破っている龍児に、須藤が「もうすこし丁寧にあけろ」と言い、沙世も、どらやきをもふもふ食べている龍児に、「もうちょっと綺麗に食べましょうね」と世話をやいている。

複雑な事情のある家庭だけれど、相変わらずそうとは見えない平穏が須藤家には漂っていて、豪星もしらずにっこりしてしまった。

おやつを食べ終えると、龍児にせがまれゲームに付き合い、盛り上がっていた最中。「おーいお前ら、昼飯どうする?」おやつ以降はどこかへふらっと消えていた須藤が、居間に入り込んで聞いてきた。

居間の壁掛け時計を見ると、もう午後の1時になっていた。そこでようやく、おなかが空いていることに気づく。

「沙世は社協に行ってていないんだよ。だから外で飯でも食いにいこうかと思ってるんだけどよ、どうする?カップ麺とかもあるけどよ」

外食かレトルトの二択を提示され、豪星は一瞬、龍児と顔を見合わせたあと、「外食がいいです」「そとでたべたい」同じ意味合いの言葉が被った。

満場一致ということで、早速、ゲームを切って外に出る準備をし、須藤の車に乗り込んだ。

運転席に乗るなり、「なにが食べたい?」と聞かれたので、豪星は「なんでも大丈夫です」龍児は「にく」と答えた。須藤は少し考える素振りを見せたあと、「じゃあ、肉にするか」意見の中に唯一あった単語をひろって、それを落ち着き先とした。

「この前、うちからちょっとむこうにある大通りに、肉がいっぱい食える店が出来たんだよ。そこ行こうぜ」

「いいですねー」豪星がうなずき。龍児が無言で、こくこく首を振る。

車が発進してから15分後。須藤の言っていた「ちょっとむこうにある大通り」に入り、それからすぐ、該当の店の敷地内に入った。

30台ほど停められそうな駐車場の、比較的入口に近い場所に車が停止すると、三人それぞれ、車から降りて店内に向かった。

中にはいると、すぐに店員が近づいてきて、須藤に「何名様ですか?」と尋ねて来る。

対応が終わると、窓際のテーブル席に案内され、おもいおもいに座った。

テーブルの真ん中には食材を焼くための焼き場が設けられていて、注文は、すぐ脇にあるタッチパネルを操作する方式のようだ。

窓側の席に座っていた龍児が、じっとタッチパネルを眺めていたが、やがてばしばしと、豪星の肩を叩いてきた。「ごうせい、これよくわからない」

「かして。俺がやるよ」手を差し出すと、龍児がひょいと、タッチパネルを掴んで豪星に手渡した。

「これはね龍児くん、画面にさわると、こうやってメニューがでてくるから、好きなものを選んでさわって……ほら、写真がいっしょに出て来るから分かりやすいでしょ?」

「ほんとだ」龍児が、豪星の手元をのぞきこみながら、興味深そうにうなずく。

「ごはんとかデザートもあるけど、とりあえずお肉だよね。
龍児くん、なに食べたい?ハラミ?ロース?カルビ?」

「ぜんぶたべたい」

「タレはどうする?」

「ぜんぶ」

「野菜も頼んでおく?」

「ぜんぶ」

「うん分かった。俺が注文していくから、龍児くんはとりあえずひたすら食べてて?」

「ぜん……分かった」

恐らく、ものすごく食べるであろう龍児の食欲と、自分と須藤の食事分も考慮して、注文限度まで肉を、たまに野菜を頼んでいく。

そして、次々にやってくる肉を、ひたすら焼き場の上でじゅうじゅう焦がしていく。焼きあがると、それをひょいひょい、龍児の皿に、時々自分の皿に移していく。

時々、焼きあがるのが待ちきれなくて生焼けのままの肉を焼き場からさらおうとする龍児を「だめだよ」と制しながら、リレーのように注文を繰り返していく。

龍児が、もうはいらないと言い出すまで、延々と食べ続けた後。最後にデザートを頼んで一息つく。

「あ、龍児くん。くちのまわり汚れてるよ」

「ん」豪星が差し出した紙ナプキンで、龍児が口をふいている最中。ふと、静かに食事をしていた須藤が、くつくつ笑いだした。何事かと思いきや。

「いや、わるいわるい。ただ、お前らほんと、そうしてると兄弟みたいだなって」

いつかにも言われた話題を掘り返されて、「ああ」と頷く。

なんとなく気が向いて、「俺の弟かわいいですからね、世話焼けて楽しいです」調子のいいことを言ってみると。となりでささっと、顔を逸らす気配がした。どうやら照れているらしい。

その横顔をみて、豪星も嬉しさに笑えてきてしまった。



須藤家から帰宅すると、時刻は7時半を過ぎていた。

もうこんな時間かと思いつつ、部屋の中へ入り込むと。「おかえりぃ、豪星くーん」寝転んでいた父親が赤ら顔で振り返った。手にはビールが握られている。

「浮気はたのしかったー?」

「そんなんじゃないし」

変な言い方するなよと、文句を言いつつ座り込み、「楽しかったよ、すごくね」ついでに付け足す。

「それはよかった。楽しくなくちゃ浮気にならないからね?」

「だーかーらー」

「あーそれにしても」豪星の言葉に、父親がわざとらしく言葉をかぶせてくる。「豪星くんが友達の家に遊びに行くなんて意外。そういうの嫌いじゃなかったっけ?」

「別に嫌いじゃないよ。苦手だったってだけで」

「それ意味いっしょじゃない?」

「一緒じゃない。
それに、なんていうか、遊びに行きたいか、行って楽しいかどうかなんて相手にもよるんじゃない?」

「あ、それは僕も同感。なーんだいいこと言うようになったね豪星くん」

「父さんに褒められても嬉しくない。
それより父さん。遊びに行ったお家の人からお土産もらったんだ。いっしょに食べる?」

鞄をあさって、須藤に帰り際持たせてもらった煎餅の詰め合わせを取り出すと、半身を起こした父親が、「食べるたべるー!」調子のよい口調で答えた。

豪星が、包装を破って中身を取り出すと、その内のひとつを父親がひょいとかすめとっていく。それから、ビールの二缶目を開けようとするのを見て、「ねえ父さん。それ一口ちょうだい」ふと、豪星は思いつきを口にした。

豪星の言葉が意外だったのだろう、「え?これ?」父親が不思議そうな顔をしてから、一転、「はいどーぞ」にっこり笑って差し出してきた。

缶を受け取った豪星は、数秒、開いたプルタブをじっと眺めから。

ぐっと、中身をあおった。



豪星の学校に転入を果たした猫汰は、偶然というべきか必然というべきか、豪星と同じクラスに配属された。

そして、同じ教室とクラスメイトとなった猫汰は、入学式以降、どこへ行くにも豪星にべったりと付き添うようになった。

イケメン転入生にお近づきになりたいと、あからさまに視線を送る女子たちには目もくれず、彼の目と愛はひたすらに豪星に注がれたわけだが。

彼は視線にとどまらず、「始業式の時も言ったけどね、俺と豪星くんは付き合ってるから」と、こまめに吹聴して周った。

勘弁してくれと、遠回しに頼み込んではみたのだが、「ダーリンに悪い虫がつくといけないから!」の一点張りで、最終的に豪星のほうがあきらめた。もうなるように慣れろ、だ。

ちなみに、ここしばらくの間で、猫汰にこっそりつけられたあだなは「イケメンなホモで」、豪星は「地味なホモ」だ。

ニュアンスに差別を感じるけれど、実際間違ってはないので文句ひとついえない豪星だった。

「はぁー……」

「ダーリンおまたせー!」

溜息の増える自分とは裏腹に、職員室に行っていたらしい猫汰がご機嫌な様子で戻ってきた。

「ダーリンと俺の提出物、せんせーに渡してきたよー!」

「ありがとうございます……」

「あのね、先生ったら、中嶋の分も一緒に持ってくるだなんて出来る嫁だななんて言ってね!もーやだーせんせい気がはやーいと思って!」

「そうですか……」またひとつ、溜息が増える。この先俺、いろいろ大変そうだなぁ……。

「それよりダーリン、一緒にかえろ?

学校の近くにさぁ、からあげ専門店が出来たらしいんだけど、お腹空いたし食べに行かない?」

「あ、からあげ。食べたいです」ぐったりが授業後の食欲に負けて、ふわっと気分が持ち上がる。昼食は相変わらず彼お手製の壮絶弁当なので、まともな味が余計に恋しい。

行こう行こう、と、下校を促す猫汰につられて、豪星は席を立ったが。「あ、そうだ」ふと思い出し、立ち止まった。

「すみません猫汰さん。俺終業後の掃除当番でした」

「えーーーー?そんなのやらなくていいよ。さぼっちゃお?」

「だめです、当番ですから」

「ダーリンってばまじめなんだから、そういうところ好きだけど、でも俺とからあげ食べにいくほうを優先してほしいなー?」

「からあげは掃除が終わってからでも食べられます」

「えーーーーいますぐいこうよーーーー」猫汰がさらに、不服そうな声を追加する。その最中。

がらりと、教室の扉が開く。中に入ってきたのはクラスメイトの原野だった。

「あ、原野」豪星が名前を呼ぶと、原野もこちらを振り返る―――なり、「げっ!」盛大にひきつった。

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