「今までみたいに、遊んで捨てる程度の子が相手だったら、なにも相手の家にまで乗り込む気は起きなかったんだけどね」

「やめて詩織ちゃん!ダーリンに余計なこと言わないで!」

「少年、ご覧の通りだよ。弟はずいぶん君に惚れこんでいるみたいでね。これは保護者として、直接君に話をしなければらちが明かないと踏んだまでだよ。
で?
いくらあれば足りるんだ?」

「はい?」言葉の意味を分かりかねている内に、すっと、なにかを差し出された。それは……有名な銀行の名前が入った通帳だった。

相手は、それを豪星の目の前で開いてみせると、印字された金額に目が飛び出ている豪星を無視して、「いくらで弟と手を切ってくれる?」再び続けた。

「恋は麻疹というからね。弟にいくら言い聞かせても、弟が君を手放すことはしばらくないだろう。
だから、君と決着をつけようと思う。
麻疹を治す唯一の手段は金を払って治療することだ。だから、弟の恋愛も金で解決しよう。
言い値をいいなさい」

「………あ、あ、あの……」

「――――やめてってば!!」

猫汰が突然、相手に突撃して服をわしづかんだ。

「ねこた……っ」勢いにのまれた相手が、猫汰を乗せたまま床に倒れる。

「何回言えば分かるの!?ダーリンそんな人じゃないってば!!ダーリンがお金に困ってるのは家庭の事情が複雑な所為で!!俺からせびり取ろうと思ってるとかじゃなくて!俺が!!ダーリンにお金使っていいよって言ったの!!
ぜんぶぜんぶダーリンのせいじゃないの!ダーリンは悪くないの!!」

「だ、だから猫汰。お前が惚れているのにつけこまれてそういう騙され方をしているんだって僕が何度も……」

「ちがうから!!ちがうったら違うから!!
俺が騙されてたんだったら、ダーリンとっくに俺のキャッシュカードから全額抜いて高跳びしてるから!!そんなことなかったからダーリンちゃんと帰ってきたから!!べつにお金とられたってダーリンなら俺構わないけどね!!」

「猫汰!お前のそういう盲目な気持ちが危ないんだって言ってるだろう……!」

意見がかみ合わないままお互いの感情に触れたらしく、兄弟はそのまま、しばらく上下でもみ合った。

それを、どうすることも出来ず豪星は傍でながめていたが。その内に、猫汰兄の方から目覚まし時計のような音が聞こえてくる。

「あ」猫汰兄が、スマホを取り出しながら、しまった。といった顔をする。

「次の予定が……もう行かなくちゃ」

猫汰兄が忌々し気につぶやいた途端、猫汰がぴたりと動くのをやめ、ささっと豪星の傍らに戻ると、「帰って!」鋭い声で言い放った。

「詩織ちゃんのわからずや!早く仕事行って!」

「……また来る」

「来ないで!!絶対こないで!!」

お互いの火花がはじけ飛ぶ中、ふと猫汰兄の方が視線をそらして扉へと向かった。帰りの挨拶もなく、足音だけが去っていく。

突然の騒動がようやく収まり、豪星と猫汰はお互いの顔を見合わせると、ついで、「はぁあぁ」と、ため息をつく。

「……ごめんねダーリン。俺のおにーちゃんが失礼なこと言って」猫汰が、しょんぼりした声でつぶやく。

「いいえ」豪星は首を振った。……なんていうか、お金目当てで付き合ったのは本当だしなぁ。

「あ、そうだ。お金といえば」

「どうしたの?ダーリン」

「すみません、ちょっと……」一言断ってから、豪星は立ち上がって半開きになったクローゼットの中をさぐった。そして、猫汰に借りたままだったキャッシュカードを見つけると、「ねこたさん、これ!」一緒に保管していたメモをそえて、猫汰に手渡した。

「あ、俺のキャッシュカードね。もういいの?」

「はい。父親が帰ってきたのでお金はもう大丈夫です。助かりました、ありがとうございます」

「いいえー。
ところで、このメモはなに?」

「ああそれ、猫汰さんのキャッシュカードから借りた分の金額をメモしてあるんです。キャッシュカードを借りる以前に、猫汰さんに直接買ってもらったり借してもらったりしたお金もなるべくメモしたので、いずれ返しますね」

「……返さなくていいのに」

「いえ。助けてもらったんだからちゃんとしておかないとと思って。
すぐに全額は無理ですけど、バイト探して少しずつ返します」

本当は親に借りても良いんだけど、まあ、これは豪星なりの誠意ということで。

「や、やめて!バイトとかしないで!」

「え?なんで?」

「バイトなんかしたら俺との時間減るでしょ!?一緒に居られる時間減るくらいならお金なんていらない!返さなくていい!」

「ええ?そういうわけには……」

お互い、「返す」「返さなくていい」と繰り返し、結局、「豪星が社会人になったら返す」という話でまとまった。

そして、話がまとまるなり、不意に猫汰は玄関の方をつと見て。「ねー詩織ちゃん。いまの話きいたー?」もうそこにいないはずの人に声をかけた。

「まだそこにいるんでしょ?分かってるんだからね?
今の聞いたでしょ?これでも俺がダーリンに騙されてるって言えるの?ねぇ詩織ちゃんってば」

猫汰が話しかけてから、数秒後、玄関が開いて閉まる音がした。

あれ。本当にまだいたんだ。と、呆気にとられる豪星の腕に、「ふふふ!」猫汰が上機嫌で抱き着く。

「ざまーみろ詩織ちゃんめ!もー、してやったよね!ダーリンってば最高!」

「なにがですか??」

「そういうとこ大好き!」

「??」

「うふふー、ま、一件落着したっぽいので、お茶でものもっか?」

なにがどう落着したのか分からない豪星を置いて、猫汰が鼻歌交じりにキッチンへ向かった。

しばらくすると、コンロの火がつく音がして。

それと同時に。

「―――あっぶねぇえええええええええええええ!!」父親が掃き出し窓から飛び込んで来た。

「とうさん!?」突然のことに驚く豪星の隣で、父親はなぜかぜいぜいと息を切らしている。

「まじかよ!まさかねーとは思ってたけど、猫ちゃんて詩織ちゃんの弟かよ!」

まじかよ!を繰り返す父親の声を聞きつけ、「おとーさま?おかえりなさいどうしたの?」猫汰が、お茶を作る手を止めてこちらに戻ってくる。

猫汰の顔を見るなり、父親がびくっと震えた。「ね、猫ちゃんまだいたの……!てっきり詩織ちゃんと帰ったのかと……!」

「いましたけど……おとーさま、俺のおにーちゃんのこと知ってるの?」

「し……しらない」

「名前言いましたよね?いま」

「い……言ってない……は通らないか……」

しまった。という顔を全面に浮かべながら、「あーどうしよう」とか「まさか血縁だとは思わないだろ」とか、ぶつぶつ、うつむき独り言をつぶやく。

やがて父親は、すっと顔をあげると。「猫ちゃん」真剣な声で猫汰に頭を下げた。

「お願いがあるんだ。もし、君のお兄ちゃんが、彼氏の父親のことを尋ねたら、それこそ名前教えろとか写真見せろとか言い出したら、僕のことを知られないように、それとなく誤魔化してほしい」

訳の分からないお願いに、猫汰がきょとんと首をかしげる。そして、数分後。「ふーん?」にやにや笑い始めた猫汰が、頭を下げ続ける父親の目の前に座った。

「ねえおとーさま。なんでそんなことしてほしいの?俺のおにーちゃんとなにかあったの?ねえ教えて?内容によっては、おにーちゃんとの取引に使うから」

「あざといな猫ちゃん……!」

「ねえなに?なにがあったの?おしえておとーさま」

詰め寄る猫汰に、「ねこちゃん」父親が不意に、ポケットから何かを取り出し猫汰につきつけた。

「事情聞かずにおっけーしてくれたら、豪星くんの幼稚園の時の写真あげる」

「おっけーーーーーー!!!」

おいなんでそんなもの持ってる。

豪星の幼少時の写真を手に入れた猫汰は、「ぎゃあああああ!」とか「ひぇええええ!」とか、大変な悲鳴をあげまくったあと、「良い夢見れそうなうちに帰る!!」と言って、豪星の家を後にした。

彼が写真を堪能している間、ちゃっかり作り置きされていた特製二人分の夕食を、豪星がひとりで片づけている間。「はああ、災難だ」父親が、煙草をくゆらせながらつぶやく。

「猫汰さんのお兄さんとなにがあったの?」

「想像にお任せするよ」

「想像なんてつかないから聞いてるのに。
……あ、そういえば猫汰さんのお兄さんて、母さんと同じ名前だね」

豪星の、もう亡くなっている母親の名前は「しおり」といって、偶然にも猫汰の兄と同じ名前だ。

その、名前の同じ人が父親となにか縁があったらしいと聞いて、ますます変な偶然だと思う。

「…………そーだね」豪星の問いかけに、父親がぷいっとそっぽを向きつつ同意する。それから、吸っていた煙草を灰皿に押し付けた。



夏休みが終わってしばらく経ったあとのこと。豪星の携帯電話に知らない番号の電話が入った。しかも、携帯番号ではなく、市外局番からだ。

心あたりのない番号に、数秒考えこんだあと。「あ」ふと思いついて、豪星は電話に出た。

「もしもし?豪星ですけど」

『おー!豪星!ひさしぶり!』電話口からすぐ、はつらつとした男の声が聞こえてくる。予想したとおり、須藤家からの電話だった。

『学校とか生活とか、もう落ち着いたか?』

「はい。だいぶ落ち着きました」

『そうかそうか!じゃあそろそろうちに遊びに来いよ。龍児が寂しがってるからよ』

ちょっと待ってろ、と言って、須藤がいったん電話から離れる。それから、次に電話に出たのは。『ごうせー!』龍児だった。十数日ぶりの友達の声に、自然と笑みが浮かぶ。

「龍児くん。ひさしぶり」

『ひさしぶりごうせー!
いつくる?』

「相変わらず直球だなぁ。
ちょっとまってね、えーと……」

壁に貼り付けてあったカレンダーを見て、自分の予定を確認する。「次の土曜日なら行けそう。そっちは大丈夫?」

『おっさん、豪星つぎの土曜これるって……うん。うんわかった。
だいじょうぶ。いつでも来いって言ってる』

「分かった。じゃあ次の土曜日の11時くらいにそっちに行くね」

『おっさんが、迎えいるか?って言ってる』

「大丈夫。自転車で行くよ。って言っておいて」

『わかった』

予定が決まると、龍児と須藤が交互に電話を替わり、世間話を数十分してから、それじゃあ次の土曜日に、というオチをつけてお互いの電話を切った。

「だれからの電話だったの?」それを、傍目で見ていた父親が、電話の相手を尋ねてきた。

「ああ」そういえば、夏休みの間にケガをして、加害者の家にお世話になっていたことを父親に話していなかったことを思い出す。

「じつはさぁ」思い出せる範囲で、夏休み中の豪星になにがあったかを説明すると。「へー、大変だったね」親らしからぬ口調で、あっさりと流された。まあ別にいいんだけど。

「それで、まあケガから始まった関係性ではあるんだけど、そこの家族と俺、良くしてもらってさ。いい思い出しかないんだよね。
とくに歳の近い男の子とすごく仲良くなって、一緒に会ってまた遊びたいから、今度の土曜日行ってくるね」

一瞬、父親が目を見開く。「ねえ豪星。その話猫ちゃんにした?」

「え?ケガしたこと?言ったけど……」

「ちがうちがう。歳の近い男の子とすごく仲良くなって、また一緒に遊びたい。ってところ」

「……話したかな?覚えてないや」

「あ、その口ぶりは話してないやつだね?
ふーーーーんへーーーーそっかーーーーー」

父親が、いやらしい笑いを浮かべて豪星を見る。なんだその顔は、と、文句をつけたい豪星よりも先に、父親は続けて言った。「豪星くん。それ、猫ちゃんに黙ったままにしておきなよ?」

「え?なんで?」意味がわからないというニュアンスを含めた途端、父親の笑みが濃くなった。

「だって浮気だもん。それ」

「ええ?なにそれ。そんなわけないでしょ」

友達の家に遊びに行くだけだよ。そういって笑う豪星に、父親はにやつきながら言った。

「浮気するやつはね、みんなそう言うんだよ」



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