出来る範囲で、なんとか……?

「あの、それはどういう意味で……」しょうか?と、尋ねる前に、ぐいと引っ張られ、床に押し倒された。

ふふふと笑ってこちらを見下ろす彼が、怪しい目つきで豪星のすべてを見渡す。

「俺、もう、ダーリンとなるべく離れないもんね。どこにいても、俺、ダーリンといっしょだよ?」

「…………?」

彼の言葉の意味が分からないまま、そして、猫汰もそれ以上特に説明しないまま、豪星の夏休みはその日、猫汰に甘えられつくして終わったのだった。



夏休みが終わり、新学期の一日目。

9月になったというのにまだまだ残暑は厳しくて、久しぶりに着用した制服に汗が染みる。

だがしかし、これも暑い暑いと文句を言っているうちに通り過ぎていくのだろう。四季が過ぎるとはそういうことだ。

ひと月強ぶりにもぐる校門のさなかで、四季の移り変わりなどを考えていると。

「おーい豪星!」背後から声をかけられた。振り返ると、クラスメイトの原野が、ずいぶん日焼けした様子で立っていた。

「原野、ひさしぶり」

「ひさしぶりー!お前あんまり焼けてないのな」

「うん。ちょっとケガしてさ。あんまり外に出られなくて」

「へー、災難だったな」軽い口調で豪星をいたわりながら、原野が豪星の隣を歩く。

そのまま、原野と「お互いの夏休み」をおしゃべりし、やがて教室にたどり着くと、熱気のこもる室内に二人並んで入り込んだ。

暑いなぁ、暑いねぇ、などと言い合いながら、近い場所にある席にそれぞれ腰を下ろす。

そして……豪星はそこで、「ん?」と首をひねった。

なにやら、男子と女子が教室の中で、きれいに分かれているような?

普段ならば、それなりに男女混ざっておしゃべりを楽しんでいるはずのクラスメイトたちが、今日にかぎっては白黒になっている。

その違和感に原野も気づいたらしく、彼はすぐ、近くの男子を捕まえると、「この状況はなにか」ということを尋ねた。

「ああ」原野に尋ねられたクラスメイトが、若干まゆをしかめる。「実はさぁ」原野に話し出した彼の言葉に、豪星もそっと聞き耳を立てた。

クラスメイトいわく。

なんでも、今期から、豪星たちの学年に転入生が入るらしい。

「その転入生らしきやつをさ、うちのクラスの女子が見たらしいんだ。それで、そいつがすげぇイケメンだったんだって。

読モみたいな顔した男が同じ学年に入ってくるってんで、女子たちがわあわあ騒いでるんだよ」

ああ、なるほど。

この男女の分かれ方はつまり、きたる転入生への、好悪の温度差というわけか。

「まじで?イケメンとかいらなくね?」

「そうなんだよー。男なんかいらねぇしイケメンなんてもっといらねぇから、かわいい子つれてこいよって話で……」

原野が、クラスメイトと「男いらね」という話題で盛り上がるさなか、窓際でおしゃべりをしていた女子のひとりが、「きゃあ!」と明るい悲鳴をあげた。

「見た!?」「みたみた!あれだよね!?」「すごい!ほんとうにイケメンだった!」

次々にかわされる言葉のはしゃぎぶりを見る限り、どうやら、教室の窓の下に例のイケメンが通ったらしい。

クラス中の大半が、興味津々に窓に近づき、今しがた通ったとおぼしきイケメンをみるため身を乗り出した。

それを見て、豪星は既視感を覚えた。引っ越しばかりだった幼少期、豪星も、こんな風に「パンダを見るような目」にさらされたことがある。

豪星はイケメンではなかったので、他人から浴びせられる興味はすぐにひいていったけれど。何度体験しても苦痛だったのは覚えている。

だから……もし、転入生が同じクラスメイトになって、同じような苦痛を感じていそうだったら、さりげなく声でもかけてみようかな、なんて思う。

まあ、相手はまばゆいイケメンらしいから、じみーな豪星のお節介なんていらないかもしれないけど。

そして、全校生徒が集まった、新学期のための始業式。

豪星は、紹介された「転入生」を凝視していた。

転入生は、女子が色めき立った通り、甘い雰囲気にと整った顔立ちの、うわさどおりのイケメンだった。

もともとの姿勢がいいので、あえてだらしなくたっていても様になっている彼の姿は……見慣れた人のものだった。

「おいおい。ほんとにイケメンだな」となりに立っていた原野がいまいましそうに、檀上で全校生徒に紹介される転入生をなじる。「なあ?そうおもわねぇ?」同意をもとめられたが、豪星は、うんともすんとも答えられなかった。

「えー、というわけで、神崎猫汰くんは先日まで、おうちの事情で一年、学校に通うことができませんでしたが、今期から復学し、みなさんとともに勉学に励むことになりました。

それでは神崎くん。ご挨拶をお願いします」

それまで、にこにこ、おとなしく笑っていた転入生ーーーもとい猫汰が、教師からマイクを渡されるなり。

「俺のごあいさつの前にさー。

おまえらうるせぇっての。ちょっとだまって?」

突然、それを床の上にほうりなげた。

スイッチが入ったままのマイクが、着地したとたん「ごいん!!」とおかしな音が響かせる。

その音が、「イケメンな転入生」でざわついていた全校生徒を一瞬にして黙らせた。

猫汰は、長い脚でひな壇にのぼると、ご挨拶。ではなく、全校生徒中を眺め始めた。

そして、豪星と目が合うなり、「だーーーりーーーーん!」ぱあっと、花咲く笑みとともに、叫んだ。それから、檀上を飛んだ。

「だーりんーー!おれきたよーーーー!」

喜びをあらわにしたまま、全校生徒の列をかきわけ、やがて豪星にいあると、ひとめもはばからず抱き着かれる。

「これでいっしょにいられるね!いっしょに学校にかよえるね!」

「あー、えーと、うん、うん???」

突然の展開の連続に、頭の処理が追い付かない。

かろうじて思いついたのは。「ね、ねこたさんて、俺のいっこ上じゃありませんでしたっけ?」どうでもいい学年への質問だ。

「だいじょーぶ!」猫汰が、自信たっぷりに答える。「ちゃんと留年扱いにしてもらった!」

「あ、あー……そうですか」

それだけうなずくと、豪星はぐったりと肩を落とした。考えすぎて考えるのが面倒になってきた。家かえって寝たい。

ぐったりした豪星を、猫汰はふと上から下まで眺めると、次の瞬間、ぐわっ!!と横抱きに抱えた。

「ひぃ!!」さらなる予測不能な展開に悲鳴をあげるも、猫汰は豪星を抱きかかえたまま、ずんずんと檀上のほうへと歩き出してしまう。

そして、ある程度、全校生徒の列から離れると、「おいおまえらぁ!」ぐるんと振り返って言った。

「彼は俺の彼氏で結婚を約束したひとなので、だれもてぇだすんじゃねぇぞ!!

俺のダーリンだからな!!」

わお。それ言っちゃうんだ。

「…………はー……」

豪星は、彼氏に抱きかかえられたまま、自分の平穏だった高校生活が現在をもって死滅したのを、早く、しかしゆっくりと実感していた。



「ってわけで、始業式で俺の男に手を出すな宣言してきましたー!

せっかく一緒に学校通えるのに、ダーリンに悪い虫がついちゃいけないもんね?」

「俺の復学をお父様にも報告しよう!」と猫汰が提案するので、一緒にアパートへ帰り、そして猫汰が事の仔細を父親に述べた。すると。

「ぎゃははははははははははははははは!!すげー!猫ちゃんやばい!!ぶはははははははははははは!!」

よほどツボに入ったのか、父親が爆笑しながら床の上を転がりはじめた。大変頭にくる笑い方だ。

「ひー、ひー、ひさしぶりにこんなわらった……息子の彼氏おもしろすぎだろ……、げほげほっ」

咳が出るほど笑いまくったあと、父親は煙草の箱を取り出し、中身を取り出そうとした。が、ちょうど切れてしまったらしく、物足りない顔で立ち上がった。

「ちょっと煙草買ってくるねー」そう言って、父親が部屋を出ていく。残された豪星と猫汰は、二人きりになった瞬間、「だーりん」猫汰がぴったりくっついてきた。

「これで、ずーーーーーーーっと一緒にいられるね」

「ははは……そうですね」

「あのね、俺、サプライズしようと思って、ダーリンの学校に転入することになったの、当日までないしょにしてたんだー」

「目論見が成功したようでなによりですけど、猫汰さん。ああいう大事なことは、これからは事前に伝えてください。サプライズっていうよりびっくりしすぎて死ぬかと思いましたよ」

まあ実際に死んだけどね。主に平穏な学校生活が。

「え?そんなにびっくりした?ごめんね、ダーリンがそういうなら、今度からはちゃんと先に言うね」

「そうしてください」まあ、びっくりすることなんてなにもないのが一番だけどね。

内心だけで苦笑する豪星のとなりで、ふと、音楽が鳴り響いた。どうやら猫汰のスマホに着信が入ったようだ。

「あれ?だれだろ、こんな時間に……」鳴り続ける電話を取り出した猫汰が、画面を点灯させるなり「げっ!」思い切り顔をしかめた。「しおりちゃん……!」

鳴り続ける電話を握りしめたまま、猫汰は数秒、出ようかどうしようか迷う素振りをみせてから、結局、通話を押してスマホを耳に押し当てた。

「もしもし……詩織ちゃん?なに?
え?いまどこにいるかって?別にどこでもいいでしょ……。
うん……うん……うん…………………うるさいなぁ!彼氏のところだってば!だからなに!?
……え?なにちょうどよかったって?なにが?
え??近くまで来てる!?ちょっと待ってどういうこと!?」

猫汰が、電話の途中で激しく動揺し、立ち上がった。

何事だと目を丸くさせる豪星の真上で、猫汰がぎゃんぎゃんスマホに言葉を投げつけていく。

「なんで俺の彼氏の家知ってるの!?は!?俺の手帳で住所見た!?なにそれ!ひどいよなんでそんなことするの!?
―――あのさぁ!なんでもかんでも俺のためだからって言って全部ゆるされると思ってんの?!家族にだってプライバシーってものがあるでしょ!?
え!?もうそこにいる!?ちょ、ちょっとまって……!」

慌てながら、猫汰がスマホを顔から離し、さっと、玄関の方に振り向く。その顔は、さきほどとは打って変わり、真っ青だ。

猫汰が振り向いたのと同時に、アパートの前で車が近づき、停まる音がした。

「やっば……!」猫汰はその音を聞くなり、突然、豪星を掴んで立たせた。

「ど、どうしました?猫汰さん」

「ダーリンちょっとクローゼットに隠れてて!」

「え?なんで?」

「いいから!ちょっとだけだから!」

そう言って、豪星の言葉も聞かず、部屋のクローゼットを開けて豪星を無理やり押し込もうとするが。「い、いたた。いたいです猫汰さん」片付ける能力がほぼ皆無の中嶋家の、適当に詰め込み気味のクローゼットに、高校生男子がひとり、詰め込める隙間があるわけもなく。豪星は小さく「いたい。はいらない」と抗議した。

「どうにか入って!」

「むりですー!」

そんなことをしている内に、ぴんぽんと、呼び鈴が部屋中に鳴り響く。

「わ、きちゃった……!」猫汰が豪星から離れると、呼び鈴の鳴った玄関へと駆け出して行く。それから、扉の開く音。「しおりちゃん!なんできたの!?」猫汰が誰かと喋る声が、次々聞こえてくる。

「あ、あのね、彼氏は今ね、出かけてるの。しばらく帰ってこないって言ってたから、詩織ちゃんここにいてもむだあしだから、帰ってくれる?
……あ!ちょ、ちょっと!なに勝手に入ってるの!?しおりちゃん!!」

猫汰の焦りまくった声と共に、玄関から複数の足音が聞こえてくる。

やがて、猫汰と共に現れたのは、20代とも30代ともとれる、たたずまいの落ち着いた、中世的な美貌の男だった。

突然知らない男が介入してきたことにより、唖然としてしまった豪星の目の前で、「きみが猫汰の彼氏だね?」男が、すとんと正座する。それから、ぐるりと、豪星の家の中を見渡し、くっと眉をしかめた。

「想像以上にみすぼらしい家だな。……これはやっぱり、僕の予想が正しいみえる」

「あ、あの……?」

「きみ、単刀直入に言う。僕の弟と別れなさい」

…………。

「え、えーと、あの、」猫汰さんが別れたいなら俺はべつにそれで。と、言いかける前に。

「なにいってるの詩織ちゃん!!」横から猫汰にがつん!!と抱き着かれた。打撃が横腹にうまいこと入って、「ぐぇえ!」となる。

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