「もしもーし。おふたりとも、話そろそろ終わった?」
中年男が、話のまとまった豪星と猫汰の間に声だけで割って入る。
途端、舌打ちした猫汰が、「おっさんまだいたのかよ」相手に振り返るなり睨みつけた。
「ほんとだよ。父さん、人の話盗み聞きしてないで家の中入ってればいいじゃないか」
「ほんとだよねー!…………ん??ちょっとまってダーリン。とうさんって??」
「あ、はい。この人俺の父親です。蒸発から戻ってきたみたいです」
「んんんん!!?」
「はーいどうも、豪星くんのパパでーす」
中年男、もとい豪星の父が、両手をピースの形にしてから、自分の頬に押し当てる。かわいくない、と呆れる豪星の傍らで、猫汰が数歩、なぜか飛びのいた。
「ええ!?じゃあこのおっさ……おじ様ダーリンのお父様なの!?」
「いちおう」
豪星がうなずくと、猫汰は神妙な顔つきになってから豪星の父親のほうを見た。
そして、猫汰と父親の目が合った。かと思えば。猫汰はがばりと腰を90度に倒し、「さきほどは大変失礼をいたしました!」父親に向かって謝罪を申し上げた。
「はじめましてお父様、俺は神崎猫汰と申します!息子さんとお付き合いをさせて頂いてます!」
「あれ?やっぱり付き合ってるんだ?なんかさっきから息子とイケメンが痴情のもつれっぽい会話してるなーとは思ってたんだけど。
しかしまあやるねぇ息子。こんなイケメンつかまえるなんて」
つかまえたくてつかまえたんじゃないけどな。
「息子さんとは、将来も見据えてお付き合いさせて頂いてます!
最近ちょっとだけすれ違いがありましたけど、ついさっき話し合いで解決しましたので、これを機に俺と息子さんのお付き合いを親公認で認めてください!」
「いいよー。うちの息子のこと、よろしくねーイケメンくん」
「やだおとーさまったら!もっと気軽に猫汰ってよんでください」
「じゃあ猫ちゃん」
「やだー!おとーさまったら呼び方かわいい!
ね、ね、ダーリン。お父様が公認してくれたよ?俺たち結婚するしかないね!」
「いやー……ははは」どうだろう。そこまでの展望は見通せないし、のぞめないなぁ。
ぎゅうぎゅうに抱き着いてくる猫汰から顔を逸らし、明後日の方を向いてやり過ごしている内に、猫汰の気が済んだらしく、「じゃ!俺いったんうちに帰るね!親子水入らずでどうぞ!」と言って、猫汰は上機嫌で帰って行った。
猫汰が去って行くのをみとどけた後、こちらを向いてにやにやしている父親とアパートの中に入る。そして、扉を閉めるなり。「――――ぶっはははははは!!!なんだあれおもしろすぎるだろ!!」床の上で笑い転げ始めた父親を、怨嗟のまなざしで睨む。
「なに笑ってんだクソ親父」
「あいた!!」
上からゲンコツでぶん殴ると、父親が痛い痛い!とのたうちまわったあと、再び笑い出した。
「すごいじゃないか豪星くん!性格はさておきちょっとそこらじゃ見ないイケメンつかまえたね!なかなかいないよー?あんなにかっこいい子」
「なんで認めたかな……そりゃまあ、事情があって付き合ってるけど、だからといってこれからも付き合っていくかどうかなんて分からないのに」
「いいんじゃない?君の周りにいないタイプだし、変わり種に死ぬほど振り回されてみるのも人生の経験の内だよ?」
もうすでに、遠心力の限りぶんぶんに振り回されてる件について。
それはさておき。
父親は、息子の彼氏のことでさんざんっぱら笑い転げたあと、空ぜきをしながら煙草を取り出し始めた。
箱の中から一本、煙草を取り出すと、父親はその先端にマッチで火を灯す。
わいた煙の香りが、いつもにまして懐かしい。
「父さん。ここしばらく大変だったんだからね」
「君は僕が父親ってだけでもともと大変だよねぇ」
「茶化すなよ。父さんがお金置いて行かなかったせいで、俺倒れたんだからね」
「え?あれ?僕お金置いて行かなかったっけ?」
「いかなかったよ」
「あれー?」
父親が、きょとんとした顔で自分の服を漁り始めた。
そして、巾着をひとつ取り出すと、中を覗いてから、「あ!ほんとだ!」一枚のカードを取り出して爆笑する。
「ごめんごめん!おいてったつもりで持ってた!ごめーん気づかなかった」
「…………」息子の窮地を笑って流すところが、ほんと、この人らしいっていうか。
「はいこれ、遅くなってごめんね?」
父親は、笑って取り出したキャッシュカードを豪星の膝に投げてよこした。必需品、もとい、生活費を、遅まきながら手にした豪星は、同時に、深い深いため息をつく。
俺の人生、こんなことばっかりだ。
「しっかし、さすが豪星くん。生活費なくてもなんとかやっていけたんだね?」
「やっていけるわけないだろ。だから途中で倒れたんだよ。そしたら、猫汰さんが助けてくれて、生活とお金の面倒見てくれたんだ」
「なるほど。あの子は彼氏兼パトロンだったわけだね?」
事情を説明している内に、ふと父親がよそを向いて。「そんなことより豪星くん。お腹すいたね?なにか食べるものある?」息子の文句よりも己の空腹を訴え始めた。
このやろ……!と思うも、無理やり怒りをほどいて、ふうと、また長い溜息をはく。
落ち着け。この人に怒ったところで無駄骨だ。
それよりも建設的なことを考えろ。それが一番、自分の心に有益だ。
そして、その建設的なことがなにかを考えた結果。
「……おなかすいた」「すいたねー!」父親との同意を得た。
須藤家でおなかいっぱい昼ご飯を御馳走してもらったのに、早速消化しているらしい。育ち盛りの腹に呆れつつも、とりあえず、冷蔵庫を開く。
おそらく、猫汰のことだ。豪星を家で待っていたというのなら、冷蔵庫も同時に管理してくれていたはず。
と、あたりをつけて開いた冷蔵庫の中には、案の定、パックをひらければすぐに食べられる、豆腐やハムや練り物、野菜などが入っていた。ありがとう猫汰さん!
ちなみに、「レンチンすればすぐに食べられる調理済みの料理」もたっぷり入っている。こっちはいらなかったよ猫汰さん!
冷蔵庫をさぐる豪星の後ろから、父親も中を覗いて、「おお!」驚きに声を上げる。
「なにこれ。すごいね。いまだかつて、僕たちの家の冷蔵庫にこれだけの食材と料理がつまってるところを、僕は見た事がないよ」
「猫汰さんが食材買ってきて、作っていれておいてくれたんだよ」
「へええ?猫ちゃん料理が得意なんだー。美味しそうだねぇ」
「……食べる?」
「え?いいの?やったー」
喜ぶ父親からそっと顔を逸らし、「あわを食えこのやろう」と思う。
「……しかし、苗字といいイケメンぶりといい料理といい、猫ちゃんてまさか……いやまさかね。雰囲気ぜんぜんちがうし」
「なんのはなし?」
「なんでもない。
それより豪星くん、どの料理が一番おすすめなの?」
「これなんてどう?特製手作りビーフシチュー、猫汰さん仕立て。すっごいおすすめ」
「わーおいしそう!たべるたべる!」
父親が、渡した料理を手にうきうきとレンジへ近づいていく。それをくつくつ笑いながら見届けたあと、豪星はふと、部屋の中を見渡した。
暫く開けていたというのに、掃除の行き届いた部屋。出かける前よりも片付いている気がする。洗濯物も洗い物も、一切残ってはいなかった。
そして、そんな清浄された空間に戻ってきた、豪星と父親。
「…………」
いつもと同じ場所で、けれどまったく違う日常が、豪星のもとにやってきたような気がした。
*
夏休み最終日。今日も猫汰が来る(用事があるので午後からとのことだ)と言っていたので、のんびり家で過ごすことにした。
昼になるとお腹が空いたので、カップ麺をひとつ、手に取りお湯をいれる。買い置きの菓子パンも二つ取って並べると、立派な昼食になった。
父親が帰ってきたことにより、気兼ねなくカロリーを取れるようになったので、豪星の体調はひと月前に比べて上がり調子だった。
豪星がカップ麺と菓子パンを食べている間、父親はおやつをつまみながら寝転び、バラエティ番組を眺めていた。ときおり、芸人のコメントがつぼに入るのか、はははと笑っている。
しばらく、豪星と父親はお互いの視界の中にいたが。その内、父親が寝転んだまま振り返り、「ねえ」と声をかけてきた。
「みてみて豪星くん。すごいよ、あれ、全部お昼ご飯なんだって」
あれ、と父親が指さしたのは、いつのまにかバラエティから様変わりした旅番組。その中で映し出された大きなどんぶりと、その上にのった白米とおかずだ。
「あの白米に載ってるの、生のシラスだってさ。僕、生のシラスは食べたことないな~」
ふうん、と相槌を打ちながら、ちらりと自分の食事を見る。テレビと比べ、豪星の食事は貧困極まりない。美味しいから別に良いんだけど。
けど、ちょっと悔しい気もしたので、豪星は立ち上がると冷蔵庫の前に立ち、中から卵をひとつ取り出した。
カップ麺の前に戻ると、こんこん、たまごの殻を割り叩き、なかみを麺の上に落とす。
その、一連の動作を眺めていたらしい父親が、たまごの殻をおもむろに指さした。
「それさあ、すごく良い卵だよね?」
「らしいね」たしか、猫汰が、「この卵、6個で500円するけど美味しいんだ~!」と言っていたのを思い出す。単価約83円だとしても、彼の手にかかればご覧のあり様だが。
「猫汰さんが買ってくる食べ物って、全部そんな感じだよ。ブランドねぎとか、ブランド牛乳とか、ブランド小麦粉とか」
「……それって全部、猫ちゃんの自腹なの?」
「らしいよ?なんか、よくわからないけどすごくお金持ってるんだよね、猫汰さん。
モデルのバイトをたまにやってるらしいんだけど、そういうのって普通のバイトより儲かるのかな?」
「モデル……?」父親の声が僅かに揺れる。「……いや、まさかね。モデルなんていろいろあるし」
「そういえば……猫汰さんって変なところが多いんだよね」性格。もまあ変わっているけれど、それ以上に謎の多いひとなのだ。
「俺が学校に行ってる間に、うちのこと全部やってくれて、その間にごはんも次の日用の弁当のおかずもつくってあるんだよね。で、そのあと俺の勉強まで見てくれて、けど、猫汰さんは自分の宿題をやってるって素振りはなくて……」
ようするに、彼は「学校へ行っている」という気配がみじんもしないのだ。
たしか、歳は豪星よりもひとつ上で、順当にいけば彼は高校三年生のはずなのだが。およそ高校三年生らしいところがひとつも見当たらない。
つくづく謎な人だ。と、思っている間にチャイムが鳴った。
あれ?噂をすれば猫汰かな。でも来るって言ってた時間よりも早いな。
扉に振り返る豪星と、同時に開く扉。そして、「だーりーん!きたよー!」聞きなれた明るい声。そして、思わぬ時間に来た猫汰に、「ひぇ!猫ちゃん!」油断した!と言わんばかりに飛び起きる父親。
「猫汰さん。今日来るの2時くらいになるって言ってませんでした?」
「早目に終わったからきちゃったー!
お昼もう食べた?まだなら作ってあげよっか」
昼ご飯を彼氏の家で作る。という彼氏?彼女?ぶりを発揮する猫汰に、「い、いや、ねこちゃん」父親がひきつり笑いで首を振る。
「僕も豪星も、もうごはんは済ませたんだよ。ご、ごめんね……」
「わかりましたー、じゃあおやつ作ろー」
「ちょっと煙草買ってくる!!」
あわてて立ち上がった父親が、煙草はまだ充分にあるはずなのに、それを買いにいくため部屋を飛び出していく。
どうやら、彼の手料理が嫌すぎて逃げ出したようだ。
交際を認めたくせに息子の彼氏の手作りが食えないなどと、つくづくしょうもない親だ。
部屋に二人残されると、猫汰がそろそろ、豪星に近づき、ぴったり腕をからめてきた。幸せそうな顔で、「だーりーん」と、甘えた声を出す彼に、はいなんでしょうと、素のままで返事を返す。
「呼んだだけー」
「そうですか」
「うん。あー、ダーリンがいるってすばらしい。すきすき。かわいい」
すきはさておき、かわいいは余計かなぁ。などと、こっそり考える豪星の傍らで、「ねえ、ダーリン」猫汰がふと、からめた腕の力を強めた。
「もう、俺の知らない間にどっかいっちゃだめだよ?俺、さびしくて死んじゃうかと思ったんだから」
「その節はどうもすみません」
「ほんとだよね。でも、口約束なんてまたどうなるか分からないもんね。
だから俺、出来る範囲でなんとかしておいたから」
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