親がいなくても笑える理由を聞きたくて。
さびしくないのかと聞きたいんだ、なんで笑ってるんだと聞きたいんだ、きっと。
けど、そんなの、豪星だって。
「さびしいよ」おどろくほど乾いた声が出た。
「死んだ母親も生きてる父親も、どっちも平等に恨んだ。家をひょいひょいあけて蒸発繰り返してる父親にいたってはね、結構前に、寝てるところをフライパンでぶん殴ろうとしたときがあったよ。
このままこいつが死ねばもうどこにもいかなくなるかなって」
「そ、そうなんだ……」
「そうなんだよね。でも、頭かちわる寸前までいったけどよけられちゃった。
きっと勢いが足りなかったんだろうね。あははは」
「ごうせい……わらわなくていいよ」
「え?」
「泣いてるときにわらなくていいよ」
…………。
あれほんとだ。俺泣いてるや。やだなぁ、いまだに踏ん切りが甘くて。
涙のあふれた目をごしごしこすって、再び龍児に向き直る。
「さびしいってわかった?」
「ん……わかった」
「じゃ、話はこれでおしまいだね。
そろそろ寝なよ、龍児くん。いまは起きてる時間じゃないよ」
「……………」
「龍児くん?」
「………寝たら、お前が帰っちゃうな」
「……うん」
龍児がまた、じっと黙り込む。豪星は黙り込んだ彼の沈黙が解かれるのを待ったが、数分たっても開かないのを見て、「今日は朝がくるまで、いっしょの部屋で過ごそうか」こちらから提案した。
「布団もってきなよ龍児くん。眠くてしょうがなくなるまで話してもいいし、なんならゲームでもしちゃおうか?須藤さんたちに内緒で」
本当はこんな夜更けにいけないんだろうけど、今日だけ特別ね。
そんな風に苦笑しながら誘うと、とたん龍児が嬉しそうに顔をあげて、二階の自室へと駆け出して行った。
深夜の最中に、元気な足音が聞こえてくる。
きっと、須藤夫妻はそのことを承知だろう。けれど、きっと見逃してくれる。
彼の生い立ちは深く知らないけれど、優しいひとたちに迎えられて、今が幸せそうならなによりだと思った。
*
真上に昇った陽がゆっくりと落ちていく最中。
豪星は須藤の車に乗せられて、のんびり、自分のアパートへと連れて行ってもらっていた。
須藤家の近くに並ぶ田園地帯の、稲の青色がだんだんと傍を離れていく。
それと比例して、豪星の気持ちは寂しさにつつまれていった。
災難の上の事ではあったし、短い間でもあったけど、楽しい療養先だった。心の底からそう思う。
「りゅうじくん、見送りにきませんでしたね」ぼんやりしながら、隣で運転する須藤に話しかける。車内には、助手席に座る豪星と、運転席に座る須藤の二人だけだ。
「さびしくて、車まで見送りできななかったんだろ。そっとしておいてやってくれ」
「はい」
さんざん行かないでとごねた龍児だったが、最後の最後には笑顔で、帰る豪星を見送ってくれた。強がりだったのだろう、というのは、豪星にも察せられた。
とりとめのない会話を続けること数十分後。「あ、ここで大丈夫です」豪星のアパートからほどちかい公園の前で、豪星は車を停めてもらうようお願いした。
豪星の指示通り、停車ランプを光らせながら車が停車すると、豪星は少ない手荷物と共に車から降りた。
「それじゃ須藤さん。短い間でしたけどお世話になりました」
「おう。こっちこそ、ケガさせて悪かったな」
「それはもう今更ですね」
「また遊びに来いよ。お前さえよければ迎えにいくから」
「はい。よろこんで」
「言ったな?約束だぞ?月に一回はこいよ?」
「え?それちょっと多くないですか?」
「男が二言をいうな」
「どちらかといえば後だしじゃんけんのような……」
「とりあえずだ!また来いよ!来なかったら何度も電話してやるからな!……っと、お前の番号知らなかったな」
「あ、そうでしたね、えーと……」
豪星が、自分の携帯番号を口頭で伝えると、車のダッシュボードから紙とペンを取り出した須藤が、そこに番号を書き込んでいく。
書き終わると、豪星は開きっぱなしだった助手席のドアを閉め、須藤は運転席の窓を開けたまま、「またなー!」叫びつつ去って行った。
車が消え去るまで手を振って、から、少しだけ肩を落とす。
皆が大げさに寂しがってくれるから、豪星だけしれっとした顔で過ごしていたけれど、自分は自分なりに寂しかったみたいだ。
涙腺がゆるみそうになるのを、頬をたたくことで誤魔化し、豪星は「よっし!」と一声気合いをいれると、久しぶりに我が家へと向かった。
さて。家に戻ったらまずなにをしようかな。
掃除とか洗濯とか……あ、家事といえば、あれから猫汰は戻ってきたのだろうか?
怪我をして以来、携帯電話を家に置き去りにしたままだったので、猫汰が戻ってきたのかどうか、全く把握していなかった。
まあ、猫汰さんしっかりしてるから、ちょっとの間連絡取れなくたって問題ないだろう。
なんなら、豪星のいない間に入り浸ってうちの家事をしてくれているかもしれない。というか、そうだったらいいなー、今から俺が掃除しなくてよくなるし。楽。などと、現金なことを考えていた――――アパートの扉に着くまでは。
「………………」
なんだろう、あれ。
自分の家の前で、猫汰らしき男がうつ伏せの状態で締め上げられていた。
その背に乗り、もがいている猫汰を押さえつけている、明るいパーカーを着た中年の男は……、「…………あっ!」
「はなせてめぇええええええ!」呆然としている豪星の目の前で、猫汰がねじきれた声で叫ぶ。
「だーかーらー」中年男が、けらけら笑いながら応戦する。「なーんで、うちの鍵持ってるのか。教えてくれたら離すって言ってるでしょ?」
「お前には関係ねぇよ!!死ね!!」
「うーん。らちがあかないなぁ……あれ?ごうせいくんだ!おーい!おかえりただいまー!」
「ひとの恋人きやすく呼んでんじゃねぇ!!……って、えっ!?」
何時もの三倍低い声でしゃべっていた猫汰が、ぴたりと大人しくなった、後。「だぁりぃいいいいいいいいいいいん!!」背中の中年男を振り落として、豪星の方へ迫ってきた。
イケメンな顔をこれでもかと言わんばかりに粉砕し、ついでに滂沱の涙を流す彼に、「ひぇっ」と、つい引いてしまう。
そんなことはお構いなく、猫汰は豪星に思い切りよくしがみつくと、それまで以上に、身も蓋もなく泣きわめき始めた。
「だぁりぃんびぇぇえええええぇえええええええええええええええええええ!!」
うんなんか。こんな感じの泣き方、ちょっと前に別の誰かで聞かされたような。
「あ、あのぉ、猫汰さん……?」久しぶりの再開にしては大げさに泣きわめく彼の腕をそっとつかむと。
「おれとわかれないでぇえええええええええええ!!!」
何か言い出し始めたので、「ん??」首を真横に傾げた。
「だーりんが俺の身体と金めあてでもぜんぜんいいからぁああぁああああああ!!!俺だーりんのセフレでもヒモでも財布でもなんでもいいからわかれないでぇぇえええええええええええええ!!」
「うん???ちょ、ちょっとまって猫汰さん。なんのはなし……?」
「俺がダーリンの気持ちに気づいてなかったからぁ!!俺捨てられたんだよね!!?俺ダーリンにガチ恋だったからめんどくさかったんだよね!!?でもイケメンだし身体も良いし金ももってるからちょうどいいと思ってあそばれたんだよねぇええええええええええええええええ!!!」
「お、落ち着いて……?あの、だからいったいなんのはなしで」
「わかれないでぇええええええええええええええええええ!!」
「……あのー、……俺たちいつ別れたの?」
「別れてないの?」ぴたりと、それまで絶叫していた猫汰が、どうやったのか謎なほど冷静な切り返しで訪ね返してくる。
「ねえダーリン。俺たち別れてないの??」
「え?ど、どうだろ。猫汰さんが別れたいっていうなら、まあ、はいそうですかって話ですけど……」
「まってまって!話がかみ合ってない!どういうこと!?俺ダーリンに遊ばれて捨てられたんじゃないの!?」
「え、ええー?」この人をもて遊んで捨てるってどんだけ猛者だよ。少なくとも俺にできるはずがない。
「あのぉ、猫汰さん。どうしてそんな風に思ったのか、経緯を説明してもらっていいですか……?」
「よしきたもちろん!」
泣き顔から一転、はりきり顔でしゃべり始めた猫汰いわく。
発端は、「兄から受けた仕事の依頼がフェイクだった」事から始まるらしい。
「え??あれ嘘だったんですか??」
「そうなの!俺と静かなところで二人きりで話したいからってついた嘘らしいの!」
「そんな、話したいことがあるなら別に、近所でもよかったんじゃ……兄弟なんだし」
「それがね!俺のおにーちゃんたら、俺とダーリンが付き合ってるの反対らしいの!俺が話合いの途中で、速攻でダーリンのところへ戻らないように、仕事で遠征って形をとって細工したらしいの!」
「そうなんですか??」
「そうなの!ホテルについて荷物預けてからいきなり、おにーちゃんてば猫汰ここに座りなさい。いいかいちょっと今から大事な話をするからねって話し出して。
俺とダーリンの付き合い方は危ないとか、将来的に破滅する仲はお前のためによくないとか、もうずーーーーーーーっと俺にダーリンと別れろって話して聞かせるの!」
「はあ……そうなんですか」
「そうなの!それでね、しまいには、猫汰は相手に遊ばれてるんだとか、相手が仮にゲイやバイだったとしてもお前の身体が目当てなんだとか、そもそも相手が生活に困窮してるなら完全に金目当てだとか散々っぱら言われて!」
「うっ」最後の金めあて。だけは否定できない……。
「おにーちゃんったら、きっと猫汰が出かけた途端相手が馬脚をあらわす。帰ったらきっと、お前のキャッシュカードだけとられて家はもぬけのからだよ。なんていうの!
それでね!俺あんまりにも腹が立ったから、無理やり荷物引き出して帰ったの!……そしたらね」
……あ。
いま、猫汰がどうしてあんな風になったか分かったぞ。
「ダーリン、ほんとうに家の中にいなくてね。ダーリンの携帯電話、おうちに残ってたからきっと出かけてるんだろうと思って、俺、ダーリンのおうちの中で待っててね。
ずっとずっと待っててね。一週間経っても二週間経っても待っててね。でもダーリン帰ってこなくてね。時々、家の外を探してね、それで……それでぇ……っ、もしかしたらおにーちゃんの言う通り俺捨てられたんじゃないかってぇ、そうだきっとダーリンは俺の顔と身体とお金が目当てだったんだってぇ、でも俺それでもいいから帰ってきてぇダーリン……っ」
「ご、ごめんなさい!」電話を置き去りにしていった所為でそんな事になっていたなんて。まったく思い及ばなかった。
一度宿題を取りに行ったときに会えれば誤解も生まなかったのに、そこはお互いタイミングが悪いというかなんというか……。
「あの、実は俺、猫汰さんが出かけてからすぐあとにですね……」
再び、ひっくひっくとしゃくりあげる猫汰をおろおろなだめながら、豪星は「なぜ電話を置き去りにし、そして家にも戻らなかったか」を説明した。
話の途中、猫汰は豪星のケガを知るなり「だいじょうぶなの!?」と、しきりに心配してきたが、手厚い看護をうけて今ではすっかり治った足を説明がてら見せると、ほっと安堵したようだった。
そして、安堵したらしたで。「じゃあ、おれとダーリン別れてないんだね?俺、ダーリンに遊ばれて捨てられたわけじゃないんだね?」頬をバラ色に染め、何度もなんども確認された。
「あはは、猫汰さんを遊んで捨てられる人がいたらすごいですよ」
「ううん。俺ダーリンになら遊んで捨てられても本望だって、さっきまで思ってた」
それもすごいな。
「まあそれに、俺ばっかりダーリンのこと大好きになってる自覚はあったから、捨てられてもしょうがないかもとちょっと思ってた。でもでも、やっぱり帰ってきてくれてうれしい!おかえりダーリン!俺ばっかりダーリンが好きでもあきれないでね!俺の愛にゆっくりついてきてね!」
「ははは。善処します」
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