物心つく歳になるまで、誕生日というのは年に二回あるものだと思っていた。

誕生日というのは、ケーキを食べ面白い話が聞ける日だと思っていたからだ。

その日になると、父親は豪星をコンビニに連れて行き、好きなケーキと惣菜を買ってくれた。

そして家に帰ると、父親は時計が日をまたぐまで、ずっと豪星に面白い話をしてくれた。

父親がしてくれた話の内、豪星が一番好きだったのは空を飛ぼうとした男の子の話だ。

その話は、夢と希望にあふれていた。いつか自分もそうなりたいと、心から思えるような喜びに満ちていた。

「さて、豪星。最後にひとつ、いつもと同じ話をしよう」



―――先人いわく、幸運は結果を見なければ分からないものらしい。

例えばクジで一億が当たったとする。

普通はこれを幸運を見るが、もしこの一億が原因で不幸が起きたとしたら、それは結果として不運を当てたことになる。

先人いわく、幸運とは土と気候、それら含めた繋がりによって左右されるらしい。

例えば、とても不幸な人がいたとする。

けれど、その人はその時その場所にいるから不幸なのであって、その時その場所からいなくなれば不幸とは限らない。

先人いわく、運命とは変えられるものらしい。

たとえば、その人の言動、行動次第によって。



父親は話を終えると、口述通り、最後に同じ話をする。

豪星が物心過ぎても、同じ話をする。



沙世から、「今日のおやつは蒸しパンですよ」と聞いていたので、豪星は昼食後から浮足たっていた。

豪星は食材、食事の好み合わせて特に好き嫌いのない人間だったが(猫汰のぞく)、唯一、これは大好き!と言える食べ物が蒸しパンだったのだ。

特に手作りのものが好きなので、久しく食べていないそれが食べられると聞いて、心は有頂天まで躍り上がっていた。

蒸しパンは三時に食べさせてくれるらしいので、豪星はそわそわしながらおやつ時を待っていた。

途中、須藤が「豪星いま暇か?ちょっと庭の物置の掃除手伝ってくれ」と言うので、そちらをせっせと手伝いつつ、頃合いを見て家の中に戻ると。

居間の机に、空っぽの大皿と、口をもごもごさせている龍児がいた。

「…………………………」

えーと、これ。「おやつを待っている龍児くん」じゃなくて。

あきらか、「出してもらったおやつを完食した龍児くん」、だよね?

…………しまったそうだ。迂闊だった。

時々、龍児が豪星と一緒に出されたものを、ひとりで全部食べてしまうことがあるのだ。

龍児は若干、他人を配慮する判断が薄いところがあって、今日みたいに「相手の分を考えずに食べちゃった」みたいな事になる場合がある。

もちろん、まだ物が残っていれば、豪星が「それちょうだい」と言って分け合うことが出来るのだが。言わなければ分からないままらしい。

常ならば、「しょうがないなぁ龍児くんってば」で済ませているところなのだが。

「………蒸しパン」今日は大好物だったせいで、つねにない腹が立ってきた。

「……ねえ龍児くん。俺の分は?」

「ん?」龍児が、不思議そうに豪星を見上げてくる。その顔にも腹が立ってくる。

「そのおやつ、俺の分もあったよね?」

「わかんない」

「いや分かるでしょ!?だっていつも俺だって一緒におやつ食べてたじゃないか!」

耐えかねて怒鳴ると、ようやく、豪星が怒っているのだと気づいたらしい龍児が、びくっと震えてから、おろおろし始めた。

「な、なにを怒ってるんだごうせい……?」

「だから!俺の分のおやつまで食べたでしょ!?俺楽しみにしてたのに!ひとつもないのはどういうことなの!?」

「ご、ごめ……でも俺、わからなくて」

「分からなければ良いって問題でもないだろ!」

怒りを言い捨てると、豪星は居間から出て引き戸をぴしゃり!と強引にふさいだ。

その音に気づいたらしい須藤が、「どうした!?」と言って、玄関からこちらに飛び込んでくる。そして、豪星の難しい顔を見るなり、更に「どうした!?」と駆け寄ってきた。

「なんでもないです」ふてくされたまま須藤を通り越して、庭に逃げる。

「なんでもないこたないだろ」須藤が豪星を追って、庭に逆戻りする。

「お前があんな声出すなんて初めてじゃないか。居間には龍児もいたし。
どうした?喧嘩でもしたのか?」

けんか。ではないな。豪星が一方的に怒っただけだ。

だいぶしおれてきたヒマワリの前で一旦足を止めると、豪星はやや眉をひそめて須藤に振り返った。

「……喧嘩じゃないです。俺が龍児くんに怒鳴りました」

「なんで?あいつなにかしたのか?」

「……おやつ食べられました」

「は?」須藤が唖然とするので、「俺、蒸しパン大好きなんです」不満を追加で説明すると、また唖然とされて。

次の瞬間大声で笑われた。

「笑わないでください!」

「いや、悪い!ただ、そっかー、お前のそういう子供っぽいところ初めて聞いたと思ってな。うんうん。おやつ食われて悔しかったんだな」

「悪いですか!?」

「悪くないって!ああそれに、龍児いつもお前の分まで食う時あったもんな。俺が叱ってもなおりゃしないし、けど、大好きなお前に怒鳴られたってなったら、あいつもちょっとは察しが良くなるんじゃないか?」

笑いながら、須藤が「ちょっと待ってろ」と言って家に方に戻っていった。

それから数分後。「ほら、これ食え」手になにかを持って戻ってくる。それは……蒸しパンだ!

「紗世が俺の分を取って置いてくれてたんだよ。やるから食え」

「あ、ありがとうございます!」

物が手に入った瞬間怒りが消し飛んだので、我ながら現金だと思ったが、それよりも蒸しパンが手に入ったことが嬉しくて、ついつい、その場でほおばってしまう。

ああ、おいしい!至福の時!

人が見ているのも構わず、むしゃむしゃ食べ、すぐに終わると、ああ、もう終わっちゃったという落胆と、ああ美味しかったという楽観が同時に巡る。

それから、糖分も追って脳に届くと、今更「……おやつ食べられたくらいで怒鳴って、龍児くんに悪かったな」という反省が胸に沸いてきた。

「あの……すみません、しょうもないことで怒ってて」

「いいんだよ。腹減ってると怒りっぽくなるよな」

まあけど、後で仲直りしろよ?そう言って、須藤はまた家の中に戻って行った。

庭に残された豪星は、空を数分、仰ぎ見てから。「謝るのは早いほうがいいだろう」と思い立ち、自分も家に戻って行った。

玄関に入ると、靴を脱いで、すぐ隣にある居間に入る。

「あのー、龍児くん。さっきはごめ……」んね、と言いかけて、ぴたりと口ごもる。さっきまでそこに座っていた龍児がいなくなっていたからだ。

残されたのは、空っぽになったおやつの皿だけ。どうやらどこかに行ってしまったらしい。

「龍児くん?龍児くーん」居間を出て、隣の部屋、キッチン、洗面所や二階など、龍児のいそうなところを探したが、彼はどこにも見当たらず、仕方がないので、再び現れそうな夕飯時を待って、彼に謝ることにした。

「……………」

二階から降りてキッチンの傍を通った時。とあるものが目に入って足を止める。

それは壁掛けの月めくりカレンダーで、須藤家の予定が沙世の字で書きこまれていた。

月の数字は8。

今日の日付は24。ちょうど月末にはいったところだ。

豪星は、じっと、その数字を眺めながら思った。

……そろそろ帰ろうかな、と。



夕飯前に須藤を呼び止め、話があるからといって居間へ引き込むと、畳にあぐらをかいて座る須藤の目の前で、すっかり治った足を正座させる。

豪星のものものしい雰囲気に気づいたらしい須藤が、「どうした豪星?首を傾げつつ疑問をていする。

「あの、えっと」ちょっと言いよどんでから、「俺、そろそろ家に帰ろうと思うんですけど」本題を切り出すと、須藤が、それは予想してなかった。と言わんばかりに、口をぽかんとあけ開いた。

「足もすっかり治りましたし、そろそろ学校も始まるし、このあたりでお暇しようかと思ったんですけど……」

「……あー、そっか」残念そうな声色で頷いた須藤が、太い片腕で、がしがし自分の頭をかきむしる。

「そうだよなぁ、うちのこともあるし、そろそろ帰るころあいだよなぁ。
けど、なんか、お前がいることにすっかり慣れちまって、月をまたいでもいてくれるような気になってたよ」

「ははは。しばらくご面倒をおかけしました」

「んなこたねぇよ。
けどそうか、帰っちまうってなったら寂しくなるなぁ。このこと龍児にはもう言ったか?」

「いえ、まだです。あれから龍児くん、姿が見えなくって。まだおやつのことも謝れてないんですよ」

どこいっちゃったんですかねぇ、と、苦笑したそのとき。ふと、視線を感じて豪星は引き戸の方に振り返った。

すると、引き戸に隙間があいていて、そこに、目がひとつ、こちらを向いていることに気づく。

――――龍児だ。いつのまに。

「龍児く……」

声をかけようとした瞬間、引き戸の隙間ががたん!と開く。

姿を現した龍児は、目をいっぱいに開いて豪星を凝視すると、ぶるぶる肩を震わせ始めた。

様子がおかしい。

「龍児?どうした?」須藤も、龍児の不審な様子に気づいたらしく声をかけたが。龍児は答えず、踵を返してその場から走りだしてしまった。

階段をどたどた駆け上がる音。二階の部屋の戸が、ばん!と閉じる音が、矢継に聞こえてくる。

「龍児!どうした!?」息子を心配した須藤が、慌てて龍児の後を追っていく。豪星も気になり、須藤を追う形で二階に昇った。

須藤が、階段を昇ってすぐ手前にある龍児の自室の扉に手をかけた。が、がちゃん!という音とともに、扉に開閉を拒まれた。どうやら中で鍵をかけられたらしい。

「おい龍児!どうした!?なんで鍵かけてるんだ!返事くらいしろ!」

須藤がどんどんと扉をたたくが、部屋の中からはうんともすんとも聞こえてこない。

それでも、須藤はねばって扉をたたいたが、「……しかたねぇな」やがてあきらめると、その場から一歩足をひいて、から、豪星に振り返った。

「おい豪星。たしか、龍児の部屋の窓、あいてたよな?」

「え?えーと……」

突然の質問に動揺したが、すぐ、豪星は庭(龍児の部屋の窓は、庭から見える位置にある)に出ていた時のことを思い出した。

たしか、ええと、龍児の部屋の窓は……あいてたな、うん。

「あいてましたね」思い出した通りのことをのべると。

「よっし!」須藤が突然、豪星の肩を力強くつかんだ。

「お前ちょっと、窓から龍児の部屋に入って龍児の様子をみてこい!」

「……ええ!?どうやって!?」

「ハシゴ出してやるから!」

ああ、そういえば庭の物置にそれっぽいものあったね。

などと、客観的な考えを処理する間もなく、須藤はぐいぐいと豪星を一階へと引っ張っていった。

「い、いやですいやです!」ハシゴなんて上ったことないから絶対にいやだと拒否した上に、「それなら須藤さんがのぼってよ!」と抗議もしたが、「体重的に、俺が下を支えてお前がハシゴを上ったほうが安定するんだよ!」と一蹴されてしまった。

えええ~~~~!!そんな~~~~!!

だいたい、けが治ったばかりの俺にハシゴなんて乗らせないでよ~~~!!

と、思うも、「子供が心配」という顔をした須藤には伝わりそうもなかった。

強引に庭へ連れていかれ、物置に到着すると、須藤は中からハシゴらしきものを取り出した。

そして、それを器用に扱い家の屋根にたてかけると、「さあのれ!」豪星にのぼるよう促してきた。
「…………」今の豪星の気分をあえて表現するならば、そう、「はじめて自転車に乗せられた子供」、だ。

「……のぼらないとだめですか?」

「もちろんだ!」

なんだかやけくそになってきて、豪星はしぶしぶハシゴにのぼることにした。

腹をくくってハシゴに足をかけると、予想以上にぎしぎし揺れる段差を、ひいひいうめきながら昇っていく。

心臓がとまりそうになりながらも、豪星はハシゴを上り切って屋根の上にのぼった。

ぜえぜえ乱れる呼吸を整えながら、ふと顔をあげると、開けっ放しの窓が見えた。どうやら、龍児は窓を閉め忘れたままのようだ。

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