「え?俺たち友達じゃないの?」
友達も、定義すると広いので、厳密に言えばどうかと言われると豪星も答えようがないけれど、少なくとも豪星としては、切っ掛けはどうあれ、同じ屋根の下でここ数日一緒にゲームを楽しんだ仲なので、友達なのだろうと思っていたのだが。
「俺は友達だと思うんだけど?」龍児くん的には違うのかな?と、思いながら、今度は豪星の方が尋ね口調で龍児に言うと、ぼうっとしていた龍児の顔に、突然ぱっと赤みがさした。ささっと、恥ずかしそうに目をそらされる。
「ともだちできたのはじめてだ……」ぼそぼそ、相変わらず恥ずかしそうに、しかし聞き捨てならないことをつぶやく龍児に、「ん??」どういう意味?と聞きかけたが、その直前にナポリタンが来た。
お腹が空いていたので、疑問よりも先に、あつあつのナポリタンに興味がそれる。まあいいか。あとで。
質問を後にまわして、豪星は言葉よりも先にフォークを掴んだ。
須藤の言うとおり、それはとても美味しくて、夢中で食べている間に口の周りが真っ赤になってしまった。
ナポリタンを一番早く食べ終えたのは龍児で、空になった皿を名残惜しそうに見ている様子をみかねた須藤が、龍児におかわりはいるかと聞いた。
即座に「いる」と答えた龍児が、二皿目のナポリタンをまたすぐ、半分ほど食べ尽くしたところで、豪星の皿がようやく空になった。
そして龍児の二皿目がなくなると、龍児は満ち足りた顔で言った。
「おかわり」
*
豪星の足が無事快方した翌日、須藤は平日の早朝から、豪星を「歩けるなら、ちょっと遊びに行かないか」と誘った。
することがなくて暇な豪星は二つ返事で承諾した。豪星の返答に満足そうに頷いた須藤が、今度は龍児を呼びにいく。龍児からの返答は聞こえてこなかったが、豪星が車に向かうと龍児も車の傍に立っていた。
車に乗り込んだ時刻は、午前の7時。こんな早朝からどこへ遊びに行くんだろうと、疑問と期待を交互に行き来しながら、車にゆられること30分ほど。
須藤の車が到着したのは、運動場の半分はありそうな広さの駐車場で、広々とした駐車場の向こうには、これまた校舎と体育館ほどの規模はあるだろう、大きな建物が二つ、道を挟んで建っていた。
須藤は、向こうの二つの建物を親指で指して、「あれは市場なんだ」と説明した。あの中では魚や野菜が売っていて、大体は業者が買って行くものだが、一般客向けにも開放されているらしい。
市場なぞ実際に行った事も見た事もない豪星は、須藤の説明に俄然興味が湧いた。
どんなところなんだろう。テレビでしか見たことのない景色をあれこれ想像しながら、先を行く須藤について豪星も建物へ向かう。
建物の中は照明が薄く、外よりも随分と薄暗かった。床は魚を運ぶせいか水に濡れていて、踏むとじっとり湿り気を感じる。そして魚の生臭さが充満している。
薄暗くしめった場所。しかし、あちこちで上がる声ははつらつとしていて明るい。海と丘の混じったような場所だと思った。
市場はのみの市のように、仕切りのない店の連なりになっていた。箱を積み上げている店や、ガラスのカウンターだけが置いてある店、色々だ。
須藤が、買いたいものがあるからと言って、迷いのない足取りで狭い通路を歩いて行く。豪星も龍児も、行く当てのある須藤の背中についていった。
やがて須藤は、一番角にある店の前で足を止めると、店の奥で魚をさばいている男に向かって「おーい」と声をかけた。
店の奥にいる男が、怪訝そうな顔で振り返り、須藤の顔を見るなり一瞬で破顔した。
「須藤さーん!まってたんだよー!」親しげな口調でこちらに近づいてくる。「連絡ありがとなー」須藤も、嬉しそうに応える。
「良いのがまるごとしかも数本入ってさぁ。これは須藤さんに分けてあげなきゃって思って……」
大人たちは、こそこそと何かを喋り合いながら、やがてごそっと大きな魚を取り出してはしゃぎ始めた。
大人の密談が終わる前に、「ん?あれ?」隣にいたはずの龍児がいないことに気が付いて、豪星はきょろきょろ辺りを見渡した。すると、数メートル先の別の店の前で、なにやらじっと屈みこんでいる龍児を見つけた。
「龍児くん!なにしてるの?」龍児に駆け寄って、屈む彼の頭上から声をかけると。どうやらバケツの中を覗いていたらしい龍児が、豪星の方を見上げて、「かめ!」と叫んだ。
「かめ?」聞きなれない単語に、豪星も龍児の覗くバケツの中を見ると。「あ、ほんとだ」亀が水をはったバケツの中に、窮屈な形で放り込まれていた。よほどせまっくるしいのか、亀はばたばたと、手足を乱暴に動かしている。
いや、よくみると、バケツのそばに、手書きで「すっぽん、三千円」と書かれていた。これは観賞用ではなく食用なのだ。さすが市場。すっぽんなんてものも売っているなんて驚きだ。
「すごいねー。俺、すっぽんなんて初めて見る」
「おれも」
二人で、飽きずにバケツの中でじたばた暴れるすっぽんを見ていると。「おーいお前ら!勝手に離れるなよー!」須藤が後ろから声をかけてきた。振り返ると、両手にビニール袋を持っているのが見えた。どうやら買い物が済んだようだ。
「すみません」豪星は謝り、「かめ」龍児は相変わらず、バケツの中身に興味を示している。
「かめ?」豪星と同じく、不思議に思ったらしい須藤が、これもまた同じくバケツの中を覗く。
「あー、すっぽんな。時々こうして売ってるんだよ。
なんでも、漁の網引き上げた時に、たまーにひっかかってるんだとよ」
「美味しいんですかね、すっぽんって」
「さあなぁ。俺は食べた事ねぇや。食べた事のある知り合いが言うには、美味いらしいけどな。
それよりお前ら、ちょっと小腹すかないか?」
そう言って、須藤が片方のビニール袋から油紙の包みを取り出した。
包装をほどくと、中には大きな小判型の練り物がたっぷり入っていた。
その内の一部を、藤は豪星に手渡し、まだたっぷり残っているほうを龍児に渡す。
傍目から見るとすさまじいえこひいきに見えなくもないが、彼の食欲を思い出す限り、豪星の目にもこれは妥当な配分だと思った。
たっぷりの練り物を渡された龍児といえば、早速もぐもぐ咀嚼しているところだった。見ると、すでに半分は消えている。
「前々から思ってましたけど、あの食欲すごいですね……」
豪星とて育ちざかりだが、あそこまでではない。
あの食費を賄うのは大変そうだなと、食費で地獄を見た豪星はつい思ってしまったわけだが。その、食費を賄っているであろう親の反応といえば。
「あー、うん。あいつの場合は……ちょっとな」
なにやら、「食費が大変だ」とは思っていないけれど、他に問題がある。みたいな口ぶりで、話題をにごした。
*
市場の帰り。
「他にどこか寄りたいところあるか?」
信号が赤になったのと同時に、須藤に何気なく聞かれ、豪星は少し考えたあと。ありません。と言いかけて、「あ!すみませんあります!」直前でひるがえした。
「おー、いいぞ。どこ行くんだ?」
「うちです!忘れ物を取りにいきたいんです!この交差点を左に曲がってください」
須藤は豪星の指示通り、信号が青になると左に曲がり、そのあとも豪星の示す道順に従って、車をあちこち曲がらせたり、進ませたりしてくれた。
しばらくして、豪星のアパートの手前に車が到着すると。
「ここです!すみません少し待っててください」
豪星は路肩に停めた須藤の車から急いで降りて、急いで自分の部屋へと向かった。この日ほど、鍵を持ち歩くクセがついていたよかったと思った時はない。
久しぶりに戻る我が家は、豪星が出かけて怪我をした直前のままの状態で放置されていた。
「あー……あったあった」
目的のものを部屋の中で見つけて、それを持ち上げる。
豪星の忘れ物は夏休みの課題だった。怪我をして須藤の家に運び込まれてからは、生活に必要なものはすべて須藤と龍児のものを借りていたため、「うちに帰らないとないもの」を取りに帰れずにいたのをずっと気にかけていた。
それを、外出のついでにようやく取りに帰ることが出来て、豪星はほっと安堵の息をついた。
適当なカバンに課題を詰めると、豪星は外で待っているであろう須藤親子の元へと急ぎ足で戻った。
「おまたせしました!」後部座席に転がり込むと、「宿題あったか?」運転席から声をかけられる。「はい!大丈夫です!」
「そっか。じゃあ行くぞー」
「おねがいします」
豪星と課題を乗せた車は、停車ランプを停止させると、ゆるやかに旋回して元来た道を戻り始めた。
その間、久しぶり戻り、そしてまた遠ざかっていく我が家を後ろ手に眺めた。
*
須藤の家に到着したのは正午過ぎ。
陽が傾き始めるそのころに、豪星は取りに戻ったばかりの課題を居間の机に広げて、せっせと片づける順番を決めていた。
とりあえず、こなす量の多いものから優先して、研究課題は図書館に行かないといけないから……。
ぱらぱらと課題の中身を眺めながら、うんよしこれなら大丈夫。間に合うと、頭の中でスケジュールの見通しを立てていく。
感謝すべくは、猫汰が夏休み前に豪星の勉強をなんとかしてくれたことだ。
彼が作ってくれた金と都合、そして復習予習のおかげで、ここしばらく忙殺されて勉強どころではなかった豪星でも、一人で課題がこなせる程度になっている。
……そういえば、元気でやってるかなぁ、猫汰さん。
数日前にも思ったことを、再び考える。
「なにしてるんだ」
課題を眺めている内に、いつのまにか龍児が居間の戸のそばに立っていた龍児が、まじまじと豪星と豪星の手元を眺めた。
「ああ。宿題やってるんだよ。夏休みの」持っていた課題を掲げて見せる。「龍児くんも中学校の宿題、出てないの?」そういえば、彼とはゲームばかりしていて、彼が宿題をやっている姿を見た事がない。自室でやっているのだろうか?
龍児は、少しぽかんとした顔をした後、ぐずる寸前の子供のような顔をして、「出てるけど」いったん口をつぐむ。「……やってない」
「やってないの?大丈夫?そろそろやらないと間に合わなくなるよ?」
「……やりかたがわからない」
ゲームのやり方がわからない。といった時と同じ口調で龍児が応えるのに、今度は豪星の方がぽかんとしてしまった。
面倒ではなく、分からない。
ゲームも宿題も同じ口調で分からないと答える。そんな彼がまた年齢以上に幼く見えた。
……大丈夫かなこの子?
「分からないなら教えてあげようか?」ゲームの時と同じように助け船を出すと、俯き加減になっていた龍児の顔が、ぱっとこちらを向いた。
「いいのか?」
「いいよ。中学生くらいの勉強なら俺でも見られると思うから」
とりあえず、宿題を取っておいでよと言えば、頷いた龍児が自分の部屋へと駆け出し、数分後、両手に宿題と思しきものを抱えて戻ってきた。
それを、豪星と同じく、居間の机に重ねておく。
豪星は、積んで置かれた彼の宿題をひとつずつ並べると、「どれがわからないの?」相手に尋ねた。彼は、「どれもわからない」と答える。想定内だったので、「じゃあ数学からやろうか」豪星が、比較的得意な教科を選んで、冊子を開いた。
「数学のどこからわからない?」
「ぜんぶわからない」
「分かった。とりあえずこの辺りから……」
自分の勉強そっちのけで龍児の勉強に付き合う。
龍児といえば、分からないなりに真剣に豪星の説明に聞き入って、「じゃあやってみて」と言われれば分からないなりにやってみて、それでもだめならまた説明を繰り返して。根気よく彼の勉強に付き合った。
豪星は、龍児に勉強を教えながら、夏休み前。彼氏がこうして、全く同じように、根気よく豪星の勉強に付き合ってくれたことを思い出した。
教える側に立つと、教えてもらうよりも、教える方がもっと難しくて気の長さを必要とすることを思い知る。
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