「えっと、はい。すみませんどうも……」押されている方の豪星といえば。ぬるくなってきたお茶をすすりながら。「うーん。この流れだと、このまま御厄介になる感じでいっちゃうのかな?」などと考えていた。
いいのかなぁそれで、と思いつつ、数秒考えてから……まあ、いいかと、豪星は流される方向に折り合いをつけた。
どうせこの足だ。帰ろうにも帰れまい。それに須藤一家は良い人たちそうだし。
なにより、三週間分の生活費が浮くのはありがたいかも。と思ったのは、ここだけのはなし。
*
豪星が寝泊まりする場所は、トイレや風呂場が近い、目が届きやすいという理由で、初めに通された十畳の和室、もとい居間が割り当てられた。
居間に豪星用の布団をおいてもらい、そこで寝起きしつつ上げ膳据え膳してもらい、テレビを見たり本を借りて読んだり借りたゲームをしたり、時々、杖を使って庭を散歩したりする、非常にのどかでのんびりとした療養生活が始まった。
始めは「どうなることやら」くらいに思っていたのだが、暮らしてみたら存外この生活に馴染み、そして気に入りはじめてもいた。
思うに、ここしばらくずっと忙しすぎたせいで休むゆとりがなかった。その埋め合わせを、一気にしているような気分だった。
他人様に頼りっぱなしでこんなにぼんやりできるなら、ケガをしたのも悪くなかったな。などと、現金なことを考える始末だ。
ただ、ひとつだけ。豪星にはどうしても気になることがあった。
それがなにかといえば。
……ふと、視線を感じて豪星は居間の引き戸に振り返った。すると、豪星の視線がそこにぶつかるのと同時に、ぴしゃん!と引き戸が閉まる音がした。
明らかに覗かれている。
犯人は分かっている。この家に住む須藤息子、もとい須藤龍児(すどうりゅうじ)だ。
豪星にケガをさせた張本人である彼は、豪星がここで仮ぐらしをするようになってから、頻繁にああしては、こっそり豪星を覗き込むことが多くなった。
時々、それに気づいた須藤夫が、「龍児!なにを覗いてるんだ!」と、叱ってくれていたが、そしたら今度は親の目がない時に豪星を覗くようになった。
豪星が思うに、ケガをさせた引け目が却ってああいった行動を起こさせているのだろう。
なんとなく、「謝りたいけど謝れない」子供のような顔に見えたからだ。
そんな、息子からの熱視線を受け続けて、――――はやいもので五日が過ぎようとしている。
今日も適当な時間に起きた豪星は、朝食を頂いたあと、つけたテレビをぼんやり眺めていた。
そして、昼前くらいにまた、彼からの視線を感じた。放っておけば良かったのだけれど。
「ねえ龍児くん」いい加減うんざりもしてきたので、今日は視線ではなく声をかけた。
がたん!と、引き戸の揺れる音がする。
さて。覗くなと言っても、またこっそり覗きそうだし。
だからといって、「けがのことはもう気にするな」と再三言っても、あちらの気持ちの折り合いがつかないだろうし。
ここはそうだな。暇つぶしに付き合って貰おう。
「いっしょにゲームしない?」
須藤家から借りたゲームソフトの中にひとつふたつ、有名な対戦ゲームが入っている。それを一緒にやろうと誘ってみた。
すると、彼は数分、引き戸の隙間からじっと豪星を凝視していたが、やがておずおずと戸を開き、おそるおそると言った風に近づいてきた。
その間に、ゲームを起動させていた豪星は、相手用のゲーム操作機を「はい」と手渡す。
突然手渡された彼は、戸惑いながらそれをつかみ、操作機と豪星の顔を交互に見た。
豪星はさっさと自分のキャラクターを選んで決定のボタンを押したが、相手がいつまでも選ばないので、不思議に思っていると。
「……龍児くん。なんでコントローラーを反対に持ってるの?」相手の手元にある操作機の位置がおかしいことに気づく。
豪星に指摘された須藤息子、もとい龍児と言えば。「わ、わかんない」ぷるぷる頭を振って、自分の行動の正当性を主張した。
「分からないって……え?使い方が分からないってこと?」
「う、うん」
「ゲームやったことないの?これ龍児くんのゲームじゃないの?」
「そ、そうだけど。やったことない」
「ええ?どういうこと?」
「…………」
説明するのは苦手なのか、それきり彼は黙り込んでしまった。
沈黙が気まずかったので、「えーと、じゃあ俺が教えてあげるよ」豪星の方が逆に説明を名乗り出て、まず、彼が反対に掴んで居るコントローラーの位置を直した。
それから、このゲームはどうやってキャラクターを選ぶのか。
選んだあと、どうやって対戦をするのか。
どうなれば勝敗が決まるのか。
勝つためにはどうすればいいのか。
先述したとおり、「なにもわからない」彼のためにあれこれ説明を費やし、時々、須藤妻が持ってきてくれるお菓子やジュースをつまんで。
そんなことをしていたら、あっという間に夕方になった。
その頃には、ようやく彼もまともにゲームを出来るようになり始めて、「やってみたら面白かった」みたいな顔つきまでするようになってきていたが。
彼の進捗は残念なことに、須藤家の夕飯に阻まれた。
須藤家は、朝食と昼食は個人でとったり、揃ったり、めいめい自由にするが、夕食だけは揃って食べるのが常だ。
「そろそろゲームはお仕舞いにしてね」と、須藤妻、もとい沙世が居間の机に食事を運び込みながらやんわり忠告する。
居候の豪星は、はーいと返事をしてすぐ、ゲームの電源を切った。
「あ」となりから、名残惜しそうな声が聞こえる。
「夕飯終わったらまたやればいいよ」そう提案したら、すっと、彼が期待に満ちた顔で豪星を見た。
夕飯がすべて机に並ぶころ。
「ただいまー」見計らったかのように、須藤が仕事から帰ってくる。というより、沙世は夫の帰りに合わせて食事を揃えているのだろう。
「おかえりなさい武雄さん。ごはん出来てますよ」
「おー、ありがと」
須藤が隣の部屋で着替えてから、居間に入ってくる。「今日はからあげかー」机の上のメインディッシュを嬉しそうに眺めながら、須藤が机に座ると、同じ様に、龍児も沙世も机を囲む。豪星だけは、けがの関係で、ひとり簡易テーブルと椅子に座って、そこに食事を用意してもらっている。
食事が始まると、大体須藤は「今日はどうだった?」と、豪星と龍児に尋ねてくる。
そして大体、豪星は「本を読んでました」とか、「庭を眺めていました」とか、今日の暇つぶしを一言にまとめ、龍児のほうは「べつに」と答えるのだが。
「今日は龍児くんとゲームをしてました」
「ゲームやってた」
今日は二人そろって、同じ意見が出た。
すると、須藤が一瞬ぎょっとしてから、まじまじと龍児の方を見た。
「ゲーム?龍児。お前ゲーム買ってやってもやらなかったじゃないか」
須藤の口ぶりから察するに、やはりあのゲームは龍児のものだったらしい。
その上、持ち主が、買い与えられたゲームに全く手をつけなかったことは、親も分かっていたようだ。
「てっきり、お前はゲームに興味がないのかと……」
「やったけど、わからなかったからやめた」
「ああ……そうか」息子の「ゲームを遊ばなかった」理由に、須藤は少し考えこんだと、ふと豪星の方を見た。「お前が龍児に教えてやったのか?」
「あ、はい。そうです。暇だったんで、一緒にゲームしようって誘って……」
「へえ。そうか」須藤が、今度は嬉しそうに笑う。
「そうか、よかったなぁ龍児。遊んでもらって」
龍児はうんともすんとも答えなかった。その代わり、むしゃむしゃと食事を平らげていた。さきほどまでどんぶりいっぱいに入っていた白米がすでに彼の腹に入り込んでいる。育ち盛りもあるだろうが、それと比べても彼は随分と大食漢だ。
食事が終わると、須藤夫妻は食器を片付けがてら居間を退出していった。
食事のあとは大体、豪星は居間でまたのんびり過ごして。頃合いになったらシャワーを借りて布団に入るのだが。
今日は、龍児が居間に残っていた。
ちょこんと座布団の上に座る彼の手に、昼間遊んだゲームが握られているのを見て、ちょっと笑えてきてしまう。
「やる?」と聞けば、さっとこちらを見た彼が、無愛想な顔で「やる」と答える。
彼は愛想がないけれど、目を見れば感情が読み取れる。それはへたに感情豊かな人よりも、素直なことだなと思った。
*
豪星が須藤家に来て早二週間が経つ。
その間に病院へ行った回数は二回。その内の一回が今現在だ。
小さな接骨院の院長は、二度目の診察で、豪星の足を「良好」と判断した。
全治は三週間だったが、この具合なら、ならしも含めて普通に歩いていいとのことだ。豪星も、足の痛みがもうほとんど引いていたので、これで杖ありの不便な生活から解放されると内心喜んだ。
診察が終わり、待合室に戻ると、須藤と、一緒についてきた龍児がさっと豪星に振り返る。
須藤に、「どうだった?」と聞かれたので、「想定よりも治りが早いらしいです。もう杖なしで歩いて大丈夫って言われました」診察結果を短くまとめて伝えると、「そうかそうか!」豪星以上に喜んでくれた。
「よかったなー龍児。豪星の足が良くなってきたってよ」となりで大人しくしていた龍児が、須藤にぐりぐり頭を撫でられる。
龍児は、豪星よりも低い位置にある頭を上げて、じっと豪星を見つめると、「よかった」と一言言って、から、「……足、ごめんな」いつかのように、バツが悪そうに視線をそらした。
「いいよ」豪星は笑って、はじめの時のように彼をゆるした。
三人で接骨院を出て、車に乗り込む。もう時刻は昼時で、胃が空っぽになる頃合いだった。
「そうだ」車を運転していた須藤が突然、声で手を打つ。
「せっかく豪星が歩けるようになったんだ。昼飯どっかで食っていくか」
尋ねる口調だったので、「いいですね」豪星は言葉で頷き、龍児は無言で通した。
車が接骨院から10分ほど進んだところで、須藤は道を左折し、折れて直ぐに建っている小さな店の敷地へ入っていった。
かけた煉瓦が目立つ壁に、植物の蔓が屋根までのびて、店を覆っている。こういうデザイン。というよりは、何十年も店をやっていたら、こんな外観になっていた。といった風だ。
4台分しかない駐車場は、須藤の車以外は全部埋まっていた。はやっているともとれるし、常連客がいるんだともとれる。
店に入ると、須藤は向かって左側にある四人がけの席に座り、豪星と龍児も、その対面に並んで座った。
ほどなくして水が運ばれ、須藤が水を運んでくれた60半ばの女性に「ナポリタンひとつ」と声をかけると、すぐ、「ここ、ナポリタンが美味いんだよ」と言った。
「じゃあ俺もそれで」メニューを見ずに同じものを頼むと、「おれも」となりで、龍児が同意する。
女性が去っていくと、水に口をつけていた須藤が、「そういや龍児。お前そろそろ誕生日だな」同じく水を飲んでいた龍児に笑いかけた。
「龍児くん、いくつになるの?」興味本位で豪星も話しかけると。
「じゅうご」龍児が短い言葉で、自分の年齢を現した。そして、その数字に豪星は少し驚いてしまった。
彼の背丈と体格、言葉遣いのつたなさから、もう少し下の年齢だと思っていたのだが、来年には高校生になる歳だという。
あれかな?高校生になると急成長するタイプなのかな?と、予測を頭に浮かべながら、豪星もひとくち、自分の水を飲んだ。
「龍児。なにか欲しいものあるか?買ってやるぞ」
親が子供の誕生日に尋ねる定番の言葉を須藤が言う。そして、それを受けた龍児といえば、少し考え込む素振りをみせたあと。おもむろにひとこと。「ゲーム」
「あ?ゲームがいいのか?」須藤が、驚きに目を開く。
「ごうせいとできるやつがいい」龍児が付け足した言葉に、須藤がふっと豪星を見て、から、「そうかそうか。分かった」相好を崩した。
「よかったなぁ龍児。いっしょにゲーム出来る友達が出来て」
「ともだち……」龍児が、ともだちという言葉に首をひねる。そして、隣にいる豪星に振り返って、「おれたちともだちなのか?」心底不思議そうに尋ねてきた。
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