夏休み二日目。

しばらく猫汰がいない。ということで、豪星は早々に食料の買い出しに出かけることにした。

買っておくのはもちろん、カップ麺や缶詰、パウチ食品の類である。

「カップ麺とかじゃなくて、お惣菜でいいからなるべくその日調理されたもの食べるんだよ?」と、彼に念押されてはいたが、惣菜の類を買うのとカップ麺を買うのとでは、同じ量でも値段が段違いだったので、言いつけを破って後者を選択した次第だ。

猫汰は、「キャッシュカードから自由にお金を使って良い」とは言っていたが、あれはあくまで他人の金。むやみやたらに使ってはいけないと思うし、なにより気が引ける。だから、使わせてくれるのならなおのこと、節制に励もうという考えもあった。

豪星は愛用の自転車に乗ると、いつも利用するスーパー、ではなく。もっと向こうにある、この辺りで一番物価の安いスーパーに向かった。

どうせ買い込むのならば単価は安いにこしたことはないし、なにより、カップ麺や缶詰ならば、かさばってもさほど持ち運びには不便しない。豪星なりに計画を練っての行動だった。

家を出て、自転車をこぎ、数十分先にあるスーパーに到着すると、駐輪場に自転車をとめて中に入った。

買い物かごを掴むと、すぐ手前にある生鮮食品売り場ではなく、真っ先に、加工品売り場へと進む。

ちょうど、広い店の中を斜めに突っ切る形で進むと、目的の棚はすぐ目の前に現れた。

縦に四段ほど仕切られた棚の中から、「欲しいもの」と「欲しい量」と「手が届く範囲の値段」を計算して、次々かごの中に入れていく。

カップ麺、缶詰、パウチ食品。

かごにあらかた詰め終わると、豪星はレジで精算すべく、再びスーパーの中を横断し始めた。

―――その最中に起きたことは、後にして思えば「不運なめぐりあわせだった」としか言いようがない。

豪星が、レジへ近道しようと棚の間を通り抜けていた時。豪星が通っていた道の、もうひとつ向こう側で「どん!」と音がした。

どうやら、誰かがよろけて棚にぶつかったようだ。普通ならば、ぶつかった場所の商品が床に落ちるところだろう。

だが、その時ばかりは「普通」に済まなかった。

立てつけが悪かったのか、老朽化か、棚の一角が豪星めがけて倒れてきたのだ。突然のことに判断の遅れた豪星は、よけきる前に棚の一部にぶつかってしまった。

かろうじて、頭と半身はよけたものの、腰から下が思い切り棚にぶち当たってしまった。不味い。と思ったのも束の間。

「―――――いっ!!」右足に激痛が走る。歯を食いしばって痛みに耐えていると。

「――――大丈夫か!?」豪星の頭上から誰かの声がして、「お客様!」続いて、声の種類がひとり、ふたり増えていく。豪星の状況に気づいた周囲の人間が集まってきたようだった。

大丈夫です。なんてとても言えない状況だったので、豪星は唸ることで自分の状態を示した。

「立てるか!?」

「いった!!」

「動かさないで!いま救急車を呼びます!」

「おい!しっかり……で……」

汗が流れ、痛みがより増してくると、段々、周りが何を言っているのか分からなくなってくる。

ほどなくして、店の外から聞きなれた救急車の音が聞こえ、豪星はかけこんできた救命隊員によって、店の外から病院へと運ばれていった。



豪星が、スーパーで思わぬ負傷をしてから、数時間後。

豪星が診断されたのは、「捻挫」だった。

医者曰く。「いやー、よかったね」とのことだ。

「君にぶつかった棚がね、割と軽いものだったし入ってた商品もお菓子なんかで、こっちも軽かったんだよね。
けど、棚が倒れてきたから、驚いてよけようとした時に、足をひねっちゃったみたいだね。素直にぶつかってた方が擦り傷だけで済んだかもねー」

「…………」ようするに、事の大きさに比べてかなり軽傷で済んだ。という話らしいが、豪星的には「それ、つまり俺がうっかり足ひねったってだけの話しでは?」という風に聞こえたので、複雑な心境だった。

入院等の必要はないとのことで、豪星は足の治療が終わると、運び込まれた公立病院から個人病院へと転院する旨の承諾し、この後鎮痛剤等の薬を貰うための書類と周辺地図の書かれたパンフレット貰うと、転院先の病院への予約日を決め、退院することとなった。

借りた杖で診察室を退出すると。

「――――大丈夫だったか!?」

すぐ傍にあった長椅子に掛けていた親子の内、父親の方が豪星に駆け寄ってきた。

「はい。大丈夫でした。捻挫だそうです。骨に異常はなくて、全治三週間くらいです」事実を伝えると、相手の緊張がわずかにほぐれた。

この親子は、豪星が捻挫をするに辺り原因となった、「棚にぶつかった」張本人たちだ。

もっと正確に言えば、棚にぶつかったのは息子の方らしい。が、あちらはどうも引け目が大きいのか、しきりに豪星の顔色をちらちら窺うものの、豪星がそちらを振り向くと、さっと目をそらしてしまう。

「悪かったなぁほんと」それに代わって、父親がしきりに頭を下げていた。

「治療費はもちろん全部うちで出すよ。他に必要なものがあったらなんでも言ってくれ。……おーい龍児!お前も縮こまってないでちゃんとあやまれ!」

親にしかられた息子のほうが、再び豪星をちらっと見て、「……ごめんなさい」小さな声で謝る。態度が悪いと言えばそれまでだが、しかし彼が大変反省していることは彼の表情を見れば一目瞭然だったので、豪星はその小さな謝罪をその場で受け入れることにした。

「気にしないで。軽いけがだったし、お互い予測のつかなかったことだしね」

「…………」再び黙り込んでしまった息子に代わって、父親がほっとした様子で頬をかく。

「そう言ってくれるとこっちも肩の荷が下りるよ。ありがとう」

「いえ。
……あ、そうだ。お詫びが欲しいってわけじゃないんですけど、治療費以外にお願いしたいものがあるんですけど」

「なんだ?なんでも言ってくれ」

「えっと、通院するためのタクシー代を持って頂けないかなぁって……」

この足の様子では自転車に乗るどころか、バスに乗るのも難儀しそうだ。最早タクシーを使うしか道がない。

が、他人の金はあっても自分の金はない豪星だ。不慮な事故だったわけだし、豪星に責はないのだから、通院費の一環としてタクシー代を強請ってもいいんじゃないかと思っての懇願だった。

申し出られた本人といえば、ぽかんとした様子で数秒、豪星の顔を見つめたあと。

「それはもちろん構わないんだが……」顎に手をやり、なにやら考え込む素振りを見せた。

「その、なんだ。こういうのは普通、親御さんが通院の面倒を見るもんじゃないのか?
ああいや、タクシー代を出したくないってわけじゃないんだ。もちろん払うつもりだよ。けど、なあ、その、ちょっと疑問に思ったもんで。
タクシーを使うってことは、ひとりで通院するつもりだってことだろう?
なにかその、事情があるのか?」

「ああ」言われてみれば確かに。高校生がタクシーを使って通院をするっていう状況はおかしいか。と、今更気づく。

「すみません。そうですよね変ですよね。
実は俺のうちちょっと複雑で。親がいないんでほとんど一人暮らししてるんですよ」

「親がいない?単身赴任でもしてるのか?」

「いえ。母親は亡くなってて、父親は時々帰ってきますけど、基本的には金だけ置いて蒸発してるんです」

何気なく言った言葉に、相手がより唖然とする気配がした。よほど、豪星の事情が衝撃だったのだろう。

そりゃそうだ。完全にネグレクトだもんな。慣れっこだから良いんだけど。

相手はやがて、唖然とした顔を複雑そうな面持ちに変えると、ちらっと、自分の息子を一度振り向いてから、再び豪星に向き直った。

「……てことはなんだ。家に帰ってもお前ひとりってことか」

「そうですね」

こんな時、猫汰がいたら助かったかもしれないなぁと思う。初見はあれだけ彼の強引さにひいていたくせに、都合が良ければ掌返す自分もまあ大概だなとも思う。

「けどまあ、今までも多少ケガしてもひとりでなんとかやってきたんで大丈夫だと思います」

「……そうか、ああ、いや。うん」

相手が、より複雑そうに眉をしかめた後。「なあ。ものは相談なんだが」ふと、真顔になった。

「タクシー代なんてケチなこと言わないで、いっそうちに来ないか?」

「え?」

「通院の面倒も見るし、うちにいてくれる間はうちでお前のケガと生活の面倒を見る。見たところお前も夏休み中だろう?」

「……そうですけど」

「なら、三週間くらい俺のうちで療養したらどうだ?そのほうがこっちの気も晴れる気がするんだ」

「えっと……」思わぬ申し出に戸惑ってしまう。

治療費とタクシー代以上の提案に、どうしたものかと判断がつかないでいる豪星の側面から、その時視線を感じた。

そちらにふと気を取られて、振り向くと。

「…………」

それまで、いたたまれなさそうに黙り込んでいた息子のほうが、じっと、強い視線で豪星を見つめていた。



結局、豪星は加害者が提案した「うちで面倒をみる」に乗っかることになってしまった。

いや、正確に言えば豪星の意思ではない。どうしたもんかと迷っている内に、「それじゃあさっそくうちにいこう!」と相手が勝手に決定してしまい、足がうまく動かないことを良い事に、あれやこれやと病院から彼らの自宅へと連れ去られてしまったのだ。

ようするに、「流された」というわけだ。

病院から車で出発して、大体20分前後。

「さー、着いたぞ」

車が到着したのは、田園地帯に挟まれる形で建てられた一軒家。敷地も家屋もそれは広く、とても個人宅とは思えない猶予があった。

庭もそうだが、車庫も倉庫も雄大だ。花壇に至ってはもはや「これ畑では?」という規模だ。

花壇の中には季節の花がいくつも咲きそろっていて、ひときわ目についたのは大きく咲いたヒマワリだった。

この家の持ち主であろう男、もとい須藤武雄に支えられながら車を降りて、車庫を出ると、須藤はすぐ、「おーい!紗世!かえったぞー!」ヒマワリの花壇へ向かって声をかけた。

すると、「はーい!武雄さん、ケガした子どうでしたー!?」がさがさと草をかき分けながら、作業着に麦わら帽子をかぶった女性が現れる。30半ばから40くらいと思しき、優しくて可愛い顔立ちをした人だった。

「少しでもケガが軽いと良いんですけど……って、あら?」

女性は、家主の隣に豪星がいることに気づくと、「あら。武雄さん、ケガした子うちに連れてきたの?」家主の方をもう一度見て尋ねた。

「うん。ちょっと色々あってな。家に入ったら話すよ。それより茶の準備してくれ」

女性は、一瞬あっけにとられてから、「あら、はい」脈絡のない言葉を呟きながら、先に家屋の方へと駆け去っていった。

それに続く形で、豪星と須藤夫、息子が玄関に近づく。

「さー、入ってくれ」

「おじゃまします……」

作りも装飾も立派な扉が横に開くと、すぐ、ピカピカに磨かれた石畳と、その先に上がり框(かまち)が見えた。外が立派なら中も立派な玄関だ。

須藤親子が先に框へ昇ると、息子が左の引き戸を開いて中へ入って行く。

豪星は須藤夫に支えてもらいながら、左の引き戸へと連れ込まれた。

引き戸の中は十畳ほどの和室になっていて、背の低い大きな机がひとつと、座布団が何枚かひかれていた。

豪星は足を痛めているので、座布団に座るのは難儀するなぁ、と思っていたところに。「はいこれ。座って」いつのまにか後ろに迫っていた須藤妻が、豪星のために椅子を用意してくれた。

「ありがとうございます」首を傾けお礼を言いながら、用意してもらった椅子に座った。ふうと、ため息がでる。

「お茶どうぞ」須藤妻に、簡易テーブルごとお茶を頂き、「すみません」ありがたく貰って口をつけた。

「沙世、ちょっと……」豪星にお茶を出した須藤妻が、須藤夫に呼ばれて、部屋を一旦退出していく。

それから数分後。戻ってきたかと思えば、なぜかちょっと泣きそうな顔で豪星に近づき、「おうちが色々大変なのね。うちで良ければいくらでも頼っていいからね」何度も何度も、頼るよう念を押された。

9>>
<<
top