彼氏との、昼夜連続動物園デートが終了したあと。

神崎猫汰は自宅にもどり、軽く着替えてからリビングのソファにつっぷし。

「うわああああああ!!」悶絶した。

「あぁああああぁああ超たのしかったぁああぁあああああ!!
うわぁああぁああかわぃいいかわいい!!おれのかれしかわぃいいやさしぃいいいい!!やだーーーーもーーーーーー!!」

叫びながら思い出すのは、今日のデートのことだ。彼氏と動物園に行って昼も夜も楽しんだ。

途中、猫汰が足を怪我するという事故もあったが、それも彼が優しく介抱してくれた。

全ての出来事を思い出すと、たまらなくてしようがなくなる。

「うううううううう」

湧き上がる気持ちにもんどりを打ちながら、その反面、猫汰は自分が「参って」いる自覚があった。

まさか。自分がこんな風になるなんてと。

――――猫汰の彼氏こと、中嶋豪星と付き合おうと思ったのは、彼が唐突にはなった「付き合いましょう!」という一言に、胸を撃ち抜かれたから故だったが。

猫汰はそれよりも、ずっとずっと前から彼のことを知っていた。

彼が倒れた日。それよりも前から、猫汰はあの道の途中で歩く中嶋豪星を見つけ、そして、彼を見かけることを目的に、あの道をよく利用していた。

どうしてそんな事をし始めたかといえば、理由は単純だった。

彼が、猫汰にとってとても「タイプの人」だったからだ。

背格好や顔、雰囲気、初めて見た時から「あ、かわいい」と思っていた。もともと、自分にバイの気がある事は知っていたのだが、それを事実として受け止めたのは、彼を見かけてからが初めてだった。

そんな下地が、猫汰の気持ちの中にあった上で、倒れた彼が「付き合いましょう!」だなんて叫ぶものだから、猫汰は、それが彼の冗談だったと分かっていても、「付き合いたい」と思ってしまったのだ。

彼はきっと、ノーマルな人である。多分男と付き合いたいと思ったこともなければ、その意見が変わることも難しい人だろう。

分かっている。だから猫汰は考えた。「彼の都合の良い人であろう」と。

そうすれば付き合っていけると思った。人間とは、利便で人を好きになることもある。

だから、彼のためにがんばろうと思ったのに……現在この体たらくである。

頑張るどころか、彼の一挙一動、一言一句に骨抜きにされている。

まさか、付き合ってそうそう自分がこんな風になるなんて思いもしなかった。

見た目がタイプだった以上に、どうやら彼の性格もタイプだったらしい。

今まで、結構な数の女と付き合って来たというのに、今抱えるこの感情は、どの女性にも感じたことのない種類のものだった。

きっと、これが初恋というやつだ。初恋は人を馬鹿にするという。その通りだと思う。

自覚すればするほど、つらくてしんどくて、そして気持ちが良い。

悶えすぎて沈黙していると。

「ねこた」

頭上から誰かの声が聞こえて。猫汰はさっと顔を上げた。この部屋に無断で入れるのは、猫汰の他にもうひとりしかいない。

「詩織ちゃん!きてたの?」詩織。もとい、猫汰の兄の名を呼ぶと、「きてたよ。部屋で仕事してたんだ」兄が猫汰の上で苦笑した。

猫汰の兄は、そこそこ大きな美顔器と化粧品を扱う会社で幹部として働いている。

会社の中枢を担う役職にあるだけあって、兄は企画に出張に現場の視察、指導に日々忙しい。今日も、仕事の合間をぬって家に戻り、猫汰の顔でも見に来たのだろう。

猫汰が、ソファを座りなおして隙間を空けると、隣に兄が座りこむ。

「ずいぶん楽しそうだったね。今日はなにか良い事があったの?」

「うん!あのね今日ダーリンと……」言いかけてから、はたと気づく。そう言えば、最近彼氏が出来たことを兄に言っていなかった。

「あのね詩織ちゃん。言いそびれてたんだけど、俺、最近彼氏が出来たの。今日ね、彼氏と動物園でデートして、それがめっちゃ楽しかったんだぁ」

猫汰が、「楽しそうだった」理由を簡潔に説明すると、兄が軽く目をみはった。「え?彼氏?猫汰に?」繰り返したずねられ、「うん。そう、彼氏」猫汰も繰り返し頷いた。

「猫汰……男の子も好きだったの?」

「そうだよ。男の子の誰かと付き合いたいとまでは今まで思ったことなかったから、言う必要ないかなって思って黙ってたんだけど。俺、バイなの」

「……僕のせいかな」兄が気まずそうに言うので、「ちがうよ」猫汰ははっきりと否定しておいた。

「俺が勝手に男の子を好きになっただけ。詩織ちゃんは関係ないから」

兄は猫汰と同じく、見目が麗しい人なのだが。彼は猫汰とは違い「男性しか好きになれない」という理由で、いままで結婚せずにいる。

兄が「自分はそういうマイノリティな性癖なんだ」という以上の話を猫汰にしないので、猫汰は、兄が過去、誰と付き合って、そして現在も男性と付き合いがあるのか。知らないでいる。

ただ、自分のそうした事情から弟もマイノリティに近づいたのかと、気に病みそうな兄に、猫汰はもう一度「俺が勝手に好きになったの。だから詩織ちゃんがどうとかじゃない」はっきり押しておいた。

「そう……猫汰がそういうなら」弟の強い念押しに、気持ちが落ち着いたのだろう。兄が驚きを消して猫汰に向き直った。

「付き合い始めた彼はどんな子なの?」

「ちょっとまって。スマホ出すから」

兄の問いかけに、猫汰はいそいそスマホを取り出し、そして、彼氏の写真を表示させる。

「みてみて。かわいいでしょ?」誇らしげに彼の写真を見せると、「ほんとだ。可愛い子だね」兄がやわらかく同意した。

「けど猫汰。どうして彼と付き合い始めたの?同性で付き合う切っ掛けをつかむって結構むずかしいことだと思うんだけど、なにかきっかけがあったのかい?」

「うん!あのねー!」彼氏の自慢がしたいがゆえに、猫汰は兄にうながされるまま、彼氏との出会いから彼氏と付き合った理由、彼氏にとっていかに自分が都合がよくそして楽しい日々を過ごしているかを熱く語った。

だが。兄といえば。

「……ちょっとまちなさい猫汰」話を聞き終えるなり眉をひそめた。

「それはつまりこういうことかい?猫汰。
君の彼氏は、君に冗談で告白をし、お金がないからという理由で君の貯金を使って生活をし、あまつさえ家事もすべて猫汰にやらせて、デートも全て猫汰がお金を出している。ということかな?」

「うんそうだよ!ダーリンね、かわいそうなの。おうちの事情が複雑でね。だから俺がやしなってあげないと。それにダーリンは学校に行っていそがしいから、俺が家事も全部やってあげるの。そうすればダーリンが帰ってきた時、お風呂入ってご飯食べて寝るだけでいいでしょ?」

「その労働とお金の見返りを、君は彼のなにで返してもらっているんだい?」

「毎日、ありがとうございます猫汰さん。助かりますって言ってくれるの!もー、俺、ダーリンがありがとうって言ってくれるだけで、海も渡れるしマグマも泳げる気がするー!」

嬉しくてはしゃぐ猫汰とは裏腹に、兄の顔がどんどんと険しくなっていった。

「猫汰」やがて、兄は静かな声で言った。「君たちの今の状態を、世間ではなんと言うか知っているかい?」

「めっちゃなかよしの恋人ー!」

「ちがうよ。ヒモだよ」

「べつに彼氏がヒモでもいいんじゃない?仲が良い事には変わりないでしょ?」

「………………」

兄が険しい顔のまま黙り込んだ。かと思えば、ふと微笑んで、猫汰を優しい顔で眺めた。

「そういえば猫汰。話は変わるんだけどね。仕事でまた猫汰に頼みたいことがあるんだけど、いいかな?」

「え?なになに?」



猫汰が「明日からしばらく会えない」と言い出したのは、学校が夏休みに入る直前のことだった。

猫汰は、いつもどおり夕方に豪星の家に来るなりその旨を伝えてから、すぐ、目に見えるほど肩を落とした。

肩を落とした猫汰いわく。なんでも、「兄の仕事の手伝いで、しばらく一緒について行かなければいけない」だそうだ。

「あのね。俺のおにーちゃん、化粧品とか美顔器とか扱ってる会社で働いてるんだけど、その関係で、俺、おにーちゃんに頼まれて、その会社の発刊する雑誌とかイベントのモデルとかしたりするのね」

「へええ。モデルとかすごい。さすが猫汰さん。イケメンですね」

「ありがとー。
それでね、今度またモデルが必要な企画が立ってるらしいんだけど、おにーちゃん、上の人にまた俺を使ってくれって頼まれちゃったらしいの。
立場的に断れないから、また猫汰にお願いしたいって、俺、おにーちゃん言われちゃって。ついでに、彼氏にばっかり構って寂しいから、たまには一緒にいて欲しいなんてお願いもされちゃって……そんな風に言われると俺、ことわれなくって。ほんとは俺、ダーリンと一緒にいたいんだけど……」

「へええ」彼はつねにぐいぐい物事を進める人だけれど、どうやら実兄相手には少し弱くなるようだ。またひとつ勉強になった。

「だから俺、明日からしばらく、この町を離れておにーちゃんにくっついていかないといけないの。
それに、おにーちゃんが、猫汰がいなくて寂しいなんてめずらしく言うから、なにか仕事で嫌なことでもあったんじゃないかって心配で、それも気がかりで……。
あの、だからね。俺、しばらくダーリンと会えないかもしれないの。ごめんね?」

「いえ。謝るようなことじゃないですよ。がんばってきてください。お兄さんにもよろしくお伝えください」

「うん……」

猫汰は、話し終えたあとも吹き消した火のように静かで、その落ち込みようのまま、家事をし、食事を作り、どうしても泊りたいからと言って、豪星の部屋に宿泊した。

朝になると、猫汰は豪星よりも先に起きて洗濯を済ませて朝食を作り終えると、寝起きでぼさぼさの豪星の前にちょこんと座り、なにかを二つ、差し出してきた。

ひとつは、うすっぺらいカードだ。猫汰がそれを「これ、キャッシュカードね」と補足した。

「これに、この前見せた通帳の全額入ってるから。好きに使って。暗証番号は5041、ごうせいね。覚えやすいでしょ?」

いきなりの大金を一枚のカードに押し込んで渡され、豪星は若干目をむいたが。それが解かれる前に、猫汰がもうひとつ、持っていたものを豪星に手渡した。

そちらは厚みのある封筒で、中を覗くと、万札がぎっしりつめられていた。

「こっちは、すぐに使えるお金を昨日下ろしておいたから。20万くらい入ってるから。こっちも好きに使ってね」

そう言ってから、ふと猫汰は顔をうつむかせて。「ううっ……」軽く泣き始めた。お金を矢継に渡され、しばしの別れとかどうこうの前にあぜんとするしかない豪星とは雲泥の差だ。

「その内に帰ってくるから。待っててね。俺がいなくて寂しいからって浮気しないでね。ダーリン」

「はあ……」

両手で目をごしごしこすっていた猫汰が、次の瞬間、顔を上げたかと思えば。

「―――――うわっ!」通帳と現金を持ってぽかんとしていた豪星を押し倒した。そして、うるんだ目で上から豪星を見下ろすと。

「……約束だよ。浮気しないでおれのこと待っててね」

豪星にすっと顔を近づけてくる。「あ、これキスされる」と、軽く身構えた豪星の至近距離で、猫汰がふいにためらい、近づいた口を少しそらして、豪星の頬におしあててきた。

「それじゃあ、俺行くから」頬にキスをしたあと、猫汰は豪星の上からさっさとしりぞき、まとめてあった自分の荷物をつかむと、「じゃあね」一度だけ振り向いてから豪星の部屋を出て行った。




神崎猫汰が諸事情により、豪星の家を離れてからはや二日がすぎた。

豪星はその間、色々な場面で彼を思い出していた。

例えば、朝、彼の作った朝食で脳天まで目が覚めることがないだとか。

出かけ際、お弁当を持って行かなきゃ……と無意識にどんよりして、「あ、そういえばしばらくないんだった」と気づいたり。

昼に、弁当を食べなきゃ……と思い、同じように「そうだ。ないんだった」と気づいたり。

家に帰ったら、洗濯物がそのままだったり、冷蔵庫に買い置きの食材やお茶がなかったり。

夜、教えてくれる人のいなくなった部屋でひとり勉強したり。

彼がしてくれていたこと全てがなくなって、そのことに気づく度、ふと寂しくなっている自分にも気づいて、豪星は思わず笑ってしまった。

始めの印象はあれほどすごかったというのに。

俺、いつのまにか猫汰さんのこと、けっこう好きになってるんだな。

彼とは違いラブではないけど、ライクくらいの気軽さが、豪星の胸に芽生えつつあった。

そして今日も、猫汰のいない、ちょっとだけさびしい夜が更けていく。

つづく

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