店を出ると、男も外に出て見送ってくれた。
「またこいよー」気さくに手をふる相手に、「またくるー」猫汰がぶんぶん手を振り返して、豪星も、つられて頭を何度も下げる。
豪星たちがだいぶ離れたところで、男は店の中に戻っていった。
相手が戸を閉める音と、豪星たちが夜道の向こうに歩き出す音が、同時にかさなる。
「ダーリン。今日たのしかったねー」猫汰が、機嫌よく今日の感想を告げるのに、豪星は、「……そうですね」ややためらってから頷いた。
人生初めてのデートが男だなんてと、行く前はこっそり肩を落としていたけれど。行ってみればなんてことはない。映画も買い物も昼食も夕食も楽しかった。次があってもいいくらいだ。
そんな風に思っている内に、となりで喋っている猫汰の話題がつぎつぎに変化していく。豪星はあまり話題がないので、それに合わせて適当に相槌を打っていた。思うに最近、彼とこんな風に会話することが増えた気がする。
会話して歩いていると、あっというまに豪星のアパートにたどりついた。
今日は泊っていきたいと猫汰が言い出し、それは今日が初めてではないので、いいですよ、と軽く請け負った。
二人で部屋に入って、荷物を下ろし、豪星がクローゼットの中から、布団をもうひとくみ出していると。
「……ねーダーリン。そういえばさぁ」猫汰が、側面から話しかけてきた。
「前からずっと気になってたんだけど、ダーリンのおうちって布団が二組あるよね?それ、だれの?」
「ああ。これ。父親のです」
「父親?前に言ってた、蒸発してる親御さん?」
「はいそうです」
「おかあさまは?」
「母親はいません。俺が小さい時に亡くなってます」
「そうなんだー。
ところで、おとーさまはなんで蒸発しちゃったの?」
「さあ。分かりません。
変わってるんですよ、俺の父親。
理由は知らないんですけど、俺がもっと子供の時から、定期的に、父親は蒸発して、しばらくするともどってきて、引っ越してまた蒸発して。を繰り返してるんです。
俺、うまれたところは別の場所なんですけど、それがどこだったか思い出せないくらい、引っ越してます」
「ダーリン。保護者が蒸発繰り返してるのによく生きてこられたね?」
「いつも、お金が入ったカードを父親が置いていくんですよ。生活費ですね。
ただ、今回は置き忘れていったみたいで。それで、自分の金で生活するしかなくって。節約してたらあのざまです」
「なるほどねー」
「いまにして思うと、置き忘れていったんじゃなくて、あえて置いて行かなかったのかな。俺、とうとう捨てられましたかね」
軽くいったつもりで、しかし、口をつぐむ。
なにを、自分で言った言葉に傷ついているんだろうな、俺は。
……捨てられたってべつにいいじゃないか。俺はもうすぐ、社会人になって自分で生活できるようになるのだから。
黙り込んだ豪星に、その時、どん!と衝撃がはしる。「うわ!」驚いて顔を上げると、豪星に、猫汰がしっかりと抱き着いていた。
どうしました!?と言う前に。「だいじょうぶ!」猫汰がきらきらした目を豪星に向けてきた。
「これからは、俺がダーリンをやしなってあげるから!」
「……ははは。どうも」豪星はこの時、ようやく、自分の状況に気づいた。
ああ俺。いまヒモやってるんだなと。
「どうしたのダーリン?」
「いえ……ちょっと、複雑な気分になっただけです」
「なにがー??」
*
猫汰が豪星の家にやってくるようになってから。当初の心配とは裏腹に、豪星にとってものすごく都合よく、そして金に困らなくなった。
意外なことに好転へと向かっている現状だが。ただひとつだけ、改善の見込めない問題がのこった。
それがなにかと言えば。無論。「彼の手料理」である。
食費が浮いて助かる。という事実を凌駕するほど、相変わらず衝撃の強い味を、デート以降も毎日食べさせられている。
あれだけもうちょっとどうにかならないかな。と、悩んでいるさなか。ふと。「猫汰は変な味が好きなのではなく、好きな味の守備範囲がひろいのだ」という事を思い出し、「あ、」とひらめく。
そうか。例えば、豪星が料理を作ったとしても、彼にとっては別段良いも悪いもないわけだ。
ならば、己のためにも、「今日は俺が作ります」と申し出れば言い訳だ。
だがしかし……妙案と思しきこの発案にも、多少の問題がひそんでいた。
そう。この発案がすぐに出てこない程度に、豪星は「料理」というものを、普段つくってこなかったのだ。
なぜかといえば、自分で料理を作るよりも、カップ麺やスナックパンのほうが美味しかったから。ようするに、豪星は料理がへたくそだし場数もないわけである。
けど、妙案は妙案だ。とりあえずやってみるかと、適当に結論した次の日。豪星は猫汰に「自由になるお金がないとこまるでしょ?」と、前々からもらってはいたが、しかし使っていなかったおこづかいで、学校の帰りに食材を買った。
猫汰には、あらかじめ。「すみません。今日ちょっと用事があるので、いつもより1時間ずらしてきてください」と伝えてある。
家にもどると、豪星は早速、買って来た食材を冷蔵庫の前に置いた。
それから、猫汰が冷蔵庫にいれてくれている食材もチェックし、「あ、にんじん被った」「キャベツもまだあった」「豚肉……冷凍庫にあった」いくつも重複を見つけながら、まあいっかと、いるものだけ出して冷蔵庫をしめた。
手と野菜を洗ってから、久方ぶりにまないたと包丁に触って、野菜と肉をざくざく切っていく。コンロにフライパンを置いて、全部適当にいれて。「あ、油いれてない」あとで思い出して、油を適当にいれて。
「味付けってなに入れれば良いんだろう?」これもあとで気づいて、とりあえず塩をかけたらなにやらたくさん入ってしまって。「まあいっか」野菜と肉がじゅうじゅう音を立てている内に、ごはんをたこうと思い、米を洗っていると。
「……わーーー!こげた!!」野菜と肉が思いのほか早く焼けすぎていることに気づき、あわてて米を放り出すと。
「わーーーー!」米が洗い場に思いっきりこぼれて落ちた。
やばいまずい!と、両方をフォローしようとするも。結局はどちらを救うこともかなわず。
最終的には、焦げのやばい肉野菜炒めと、超固いご飯が出来上がった。
そんなにうまくは出来ないだろう。とは思っていたけれど、ここまでひどいとは思わなかった。己の調理技術の無さに若干へこんでいると。
「だーりーん、きたよー」玄関から、猫汰の声が聞こえてきた。
「ねえダーリン。今日おソバにしようと思ったんだけど、うどんも冷凍してあるからどっちが良……なにしてたの??」
部屋のこげくささにいち早く気づいたらしい猫汰が、不思議そうな顔で部屋を見渡した。
「……ごはんを……つくったんですけど……」豪星が小声で答えると。「え!まじで!」とたん猫汰が、きらきらとした目を向けてきた。
「ダーリンが!?俺のためにごはんを!?」
「えっと……」どちらかといえば俺のために作ったんだけど。まあいいかどっちでも。
「あの。でも、すごく失敗しちゃって……たべなくていいですよ」
「なにいってるの!?たべるにきまってるでしょ!」
期待に満ちた猫汰の声が、豪星の「失敗してしょげている」気持ちにつきささる。そんなに期待しないでほしい。ほんとにひどい出来なのだから。
出来上がったものを、豪星が机にはこぶと。先に机で待っていた猫汰が、出されたものをながめたあと。「ありがとうダーリン!いただきまーす!」しあわせそうに食べ始めた。そして、その顔は、彼がものを何度咀嚼しても変わらなかった。
豪星も、自分でつくった料理をひとくち食べて。すぐ、まずいなと思った。
米が固すぎるし炒め物はにがすぎるし。一応、味付けだけは猫汰のとんでも料理よりは多少マシに思えたが、それは「好み」の問題であって、「技術」とはかけはなれている気がした。
こういうのをなんというのか。豪星は知っている。
試合に勝って勝負に負けたというやつだ。
「おいしいねぇダーリン。ありがとねー」
「……いえ」
「また作ってね?」
「……やめておきます」
「なんで?」
「まずいんで」
「おいしいよー。大丈夫だよー」
「そういう褒められ方はうれしくないです」
彼の手放しの賛辞が気持ちのささくれに触れて。つい、はっきり物を言ってしまった。
常ならば言えないような言葉を吐いて、しまったと思っている豪星の隣で。「そっかぁ。ごめんねぇ」それでも猫汰は、にこにこ嬉しそうに笑っていた。
「じゃあ言い方変えようかな。たしかに出来が良いとは言えなけど、ダーリンが俺のために作ってくれたんだから、俺、その気持ちがうれしいなって思ったの」
「…………ちがいます。俺が思いつきで作っただけです。猫汰さんのためとかじゃないです」
「それでもいいよ。結果は一緒なんだから。ね?またつくってね」
「……いやです」
「えー。もー、ダーリンってばけっこう頑固だよねー?」
つくってよ、いやです。と繰り返すうちに失敗料理はなくなり、猫汰が率先して皿を片付け、洗ってくれる。
その最中。「ねーだーりん」キッチンから声がした。
「明日、おそばとうどん、どっちがいい?」
「……そばが良いです」
「わかったー」
彼の返答を聞きながら、豪星は机の上に両腕を置いて。
ふと……「思い付きはもうやめよう」と思った。
*
その日の夜。
「……ここは……で、……ここに、aとbを代入したら……そう。こことここに配分して……」
机の上にノートと教科書を開いた豪星は、猫汰に勉強を教えてもらっていた。
実は、これも「猫汰と付き合ってみて都合が良かった思わぬこと」のひとつだった。
豪星が、ここしばらく、生活費奔走に追われて成績が下がってしまっていたことを悩んでいると、なにかのついでにこぼしたところ。
「それじゃあ俺が見てあげるよ」と、彼が申し出たのだった。言われた瞬間は冗談だと思ったのだが、猫汰は申し出てすぐ、豪星の教科書を全て目を通し、その日から豪星の勉強に付き合い始めたのだった。
猫汰は、豪星が授業でつまずいてしまった場所まで教科書でさかのぼり、そこから丁寧に解説をしてくれた。
これがまた驚くことに、とても分かりやすかった。
「あれ?勉強ってこんなにやりやすかったっけ?」と、舌をまいたほどだ。
そんな、彼氏兼教師を得た豪星は、今日も教科書を開いて、猫汰に課題を手伝ってもらっていた。課題だけではなく、復習も予習も、豪星が頼む前に先廻りしてくれる。この調子なら、もうしばらくもしない内に、遅れてしまった学習をとりもどせるだろう。
そんな事を考えていた最中。ふと。豪星の胸に疑問がよぎる。
この疑問は、思うに、彼が豪星の家に侵入し、そして定着を果たしてから生まれた疑問だった。
「……ねえ。この前も聞きましたけど、猫汰さんの歳って俺のひとつ上なんですよね?」
「そうなのー。年上女房なのー」
「ははは……」確かに通い妻ではあるな。いや。それはさておき。
猫汰は謎まみれだ。それが、豪星に最近生まれた疑問だった。
彼が本当に、告白どおり豪星のひとつ上の歳で、今年18歳になるのだというならば。彼はなぜ毎日のように豪星の家に通ってきているのだろうか。普通ならば高校に通っている歳ではないのだろうか。
家庭の事情はそれぞれなので、学校に通えない、通わない人もいるだろうが。その割に高校の勉強に豪星よりも詳しいし。
なにより。豪星の生活を支えるために差し出したあのお金。見たところ働いているわけではなさそうだし、どうやって手に入れたお金なのだろう。
学校に行っていないのに豪星よりも頭の良い彼。
働いていないのにお金を持っている彼。
……つくづく謎だし、とても気になる。
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