そういえばもう随分長い事、大きな画面で映画を見ていない。「これ見たいな」という作品はいくつもコマーシャルで見るものの。金も時間もなかったからだ。

豪星の心中を察してか。「だいじょうぶ!チケット代はもちろん俺が出すから!」神崎猫汰が宣言した。

「映画見てお昼ご飯食べて買い物して、なんなら夕飯も食べよ?一日、俺とデートしよ?」

目を輝かせて誘う彼とは裏腹に。俺の人生初めてのデートは男相手になるんだなぁと、明後日の方に軽い衝撃を受けている豪星の脳内に。

その時、天啓がひらめく。

「……したい!デートしましょう!猫汰さん!俺今度の土曜日デートしたい!」

あまりに豪星が食いつくので、「え、うん!」誘った相手が逆に驚いている様子だったが、その内に。「うん!いこういこう!俺とデートしよう!」彼が嬉しそうに、豪星の手をにぎってきた。

手を握られた豪星の心中と言えば。

よっしゃーーーー!今度の土曜日、一日まともな食事にありつけるぞーー!

しかも俺の金じゃない!

だった。

現金だ。と言われてしまえばそれまでだが。それ以上に日々の苦行がやばいのだ許してほしい。

「それじゃあ、今度の土曜日、朝の8時ごろダーリンのおうちにいくね!」

「わかりました!お待ちしてます!」

「たのしみだねー!」

「たのしみですねー!」

―――こうして、豪星の人生初のデートは、お互いの目論みが微妙にずれこんだまま決定したのだった。



そして、土曜日当日。

「ダーリンおっはよー!」

朝の7時ちょうどのお迎えとともに、豪星は久方ぶりに「映画」へ行くことになった。

豪星はてっきり、徒歩か自転車で行くものだと思っていたのだが。

猫汰が「運賃は出すから」と言うので、豪星のアパートから一番近いバスに乗って、映画館へと向かうことになった。

バス停でバスを待っていると、時刻通りにバスが来て。

空いている席に二人で座ると。「ふふっ」猫汰が楽しそうに笑い出した。

「バスに乗るなんてひさしぶりだなー。いつぶりだろ」

「俺もです」

「タクシー呼ぼうかなって思ってたんだけどね。なんかふっと、バスとかの方が高校生のデートっぽいかなぁって」

「なるほど」そんなお金持ちな理由でバスになったわけか。さすがパトロン。考え方が違うな。

などと、これまた思考回路の違う会話をつづけているうちに、バスは目的地付近に近づき、猫汰が次に降りるためのボタンを押した。

バスは、数分もしない内に停車して。豪星と猫汰。その他数人を吐き出すと、そのまま道路の向こうへ去って行ってしまった。

「いこう、ダーリン」

「あ、はい」

猫汰がぐいぐい豪星の腕をつかみ、半ば引っ張られる形で映画館へと歩き出す。

数年前。ここに新しく開設された映画館は、複合スーパーマーケットが併設されていて、そのどちらも、当たり前だが豪星のアパートの何倍も広い。

映画館の出入り口を通り、あらかじめ二人で「これをみよう」と決めていた映画のチケットを売り場で買うと、エレベーターを使って上映会場へと向かう。

三階まで昇ると。チケットをもぎるためのスタッフと、その向こうに重厚な扉が見えた。

スタッフにチケットを見せてから、二人で扉の中に入ると。各上映会場の通路につながる広間が見えた。一番奥には、飲食物が買える売店が設置されている。

その、一番奥を。猫汰が指さして。「かってく?」と誘う。

「え?いいの?」ついこぼれた言葉を、猫汰が丁寧にひろって笑う。「もちろん。好きなのかっていいよ?」

わーい!久しぶりのまともな食事!

も、うれしいのだが。「映画館で買い食いをする」という行為そのものが久しぶりだったため、単純に嬉しい。

豪星は、売店の品目をじっとながめてから、自分の食べたいもの、けれど一応他人の金なのでややひかえめに。を考えた結果、ポップコーンのLサイズとホットドックとオレンジジュースをお願いした。

「わかった」猫汰が、豪星の注文を受けてから、売店へと歩き出す。

そして数分後。「おまたせー!」豪星が頼んだものを二人分持ってもどってきた。

「俺も小腹すいてるからたべよーっと」

「あ、俺の分持ちます」

「いいよいいよ。すわってからわたすから」

あれこれ話ながら、もぎられたチケットに記載された番号の上映会場に向かい、再び現れた重厚な扉を開くと、空いている席に座った。

映画はまだ上映されておらず。広告が流されている状態だった。

「はいどうぞ」座るなり、持っていたポップコーン等を次々にわたされ、「ありがとうございます」お礼を言いながら受け取った。

そして、ひざに乗せたそれらをじっとながめたあと、豪星はまずオレンジジュースを飲んだ。

……あー、うまい。

さわやかな甘味が脳につきぬけていく。たっぷりと入った糖分に身体がよろこんでいる。

ジュースの次はポップコーンをしゃくしゃくほおばった。塩気とバターの風味が交互におどって口の中が楽しい。

勢いのままフランクフルトにもかぶりつく。わざとらしいほどの油気が口いっぱいにひろがって、「ああ、これこれ!」という感想が無意識にこぼれた。

しばらく、買ってもらったものをひたすら咀嚼していたが。

半分ほど食べつくしたところで。ふと、となりから視線を感じて振り返った。

「どうひまひた?」食べ物の入った口を、手で押さえながらしゃべったので、じゃっかんおかしな言い方になった豪星に、猫汰が「……ふふっ」と笑う。

「いや……ジャンクフード食べてる顔がかわいいなって……ふふふ」猫汰が、ぼそぼそと小声でしゃべる。広告の音が大きくて微妙にききとれない。

「うん?なんでふか?」

「……たべるのやめないし……かわいい……ふふっ」

「うん??」

もぐもぐしながら首をかしげていると。

「……めっちゃかわいい」猫汰が肩を震わせ、いっそう笑みを厚くさせた。



映画が終わり、猫汰が「寄っていこう」というので、併設された複合スーパーマーケットも寄り。フードコートで昼食を食べ、午後はスーパーマーケットに入った色んな店をあれこれのぞいて、猫汰の買い物につきあって。ときどき猫汰の要望で「ダーリンこれにあうねー」と服をあてたりしたりして。

――――あっという間に空が赤くなった。もう数十分もしない内に夜を迎える時間だ。

フードコートで昼食を食べたのが少し前だったような気がするのに、空腹を訴える腹が時間の経過を如実にあらわしていた。

夕飯も外食にしようと彼が言っていたので、てっきり、またフードコートもしくは食事のフロアに並ぶ店のどれかで夕飯を済ませるのだろう。と思いきや。

「さー!行こうか!」猫汰はまた、ぐいぐいと豪星を引っ張り、店の外に出ると、初めに降りたバス停の、反対側にあるバス停に立った。

まもなく、やってきたバスに乗り込むと、いくつか停車地点を越えたところで彼が降車ボタンを押し、「行こう」とうながされるまま、豪星もバスを降りた。

降りた場所は、豪星のアパートから歩いても行ける距離にある郵便局前。背後には花屋やケーキ屋、住宅などが混在している、よくある目抜き通り未満だ。

猫汰は、バスから降りてすぐ、慣れた足取りで道を歩き、ケーキ屋の三軒となりで立ち止まった。

つれられる形で、豪星もそこで足を止めると。猫汰が、目の前にある店先を指でさして。「ここ、ここだよ」と言った。

ここ。と指さされたのは、こじんまりとした居酒屋で、木目の美しい看板に「春宵(しゅんしょう)」と書かれていた。

「ここ、ですか?」居酒屋に入ったことがないので、つい、たずねかえしてしまうと。「ここですよー」猫汰が、あっさり応答した。

へええ。俺、居酒屋で夕飯食べるなんてはじめてだー。

ちょっとした感動に浸っていたが。「あれ?」とある事に気づく。

「猫汰さん。このお店、定休日って書いてありますけど……」気づいた部分を、今度は豪星が指さすと。「あれ。ほんとだ」猫汰がひょいと、その部分に顔を寄せた。

「おかしいな……今日は定休日じゃないのに。今の時間ならいつもやってるのに……。それに、店の中、電気ついてるよね……なんでみつ。中にいるのに店開けてないの?」

ぶつぶつ、何事かをつぶやいたあと。猫汰がすっくと顔を上げ。そして。

「みつーー!」あろうことか、店の扉をどんどんたたき出した。

「みつー!いつんでしょ!?ねー開けてよ!なんで店やすみなのー!」

猫汰の声が、静かな夕方にひびきわたる。「ちょ、ねこたさん……っ」みかねて止めようとした時。

「うるせーな!だれだよ!休みだって出しておいただろ!」すぱーん!と、目の前の引き戸が開く。

引き戸の向こうから現れた、30代と思しき男は、猫汰との距離をつめると。「お前か猫汰!」いらだち混じった声と共に、猫汰の片頬をぎゅっとつかんだ。

「いででで。みついたい」

「いたくしてんだよ!定休日に扉ぶったたく奴があるか!」

「だぁってー。日曜日はいつもあけてるでしょ?今日おみせ定休日じゃないでしょ?しかもみつちゃんと中にいるし」

「別の用事で忙しかったから今週だけ閉めたんだよ!ちょっと考えれば分かるだろうが!」

「わかったうえでやった」

「なお悪いわ!」

「だぁってー。今日のデートの終わりはみつのお店って決めてたんだもーん。ねえみつ開けてあけて。おれたちだけ中にいれてー」

「……でーと?」甘えた声を出す猫汰の要望とは、まったく別の場所に反応した男が、ふと首を傾げたあと。猫汰の背後……ことのなりゆきを静観していた豪星に視線を向けた。

ぱちっと目が合い、そして。「あ?猫汰。どこにデートの相手がいるんだ?」すぐに猫汰に目を戻す。

「いるでしょ?そこに」猫汰が振り返り、今度は彼と目が合う。
「おれ、彼氏ができたの」

「…………」猫汰の宣言に、男が一瞬目を剥き、猫汰と豪星を交互に見てから。「あれ?お前そっちいけたっけ?」驚き混じった声でつぶやく。

「お前、結構前に付き合ってたの女じゃなかった?

その前もその前もその前に付き合ってたやつも女だったよな?たしかその前も……」

……ん?いま5人ほど「前の彼女」がいなかった??

「えー?俺バイだよ?言わなかったっけ?」

「……初めて知ったわ」

「あ!みつ!それよりも!よけいな事言わないで!」猫汰が、はっとしてすぐ、豪星に駆け寄る。

「あのねダーリン。ちがうの。俺たしかに結構前は女の子と遊んだことあるけど。それは全部むこうがどうしても俺と付き合いたいってうるさいししつこいからしかたなく遊んであげただけで。
ちがうの。俺からってのはなかったから。長くあそんだこともないから。
ちがうの。向こうはどうか知らないけど、俺的にはそういうの、彼女ってわけじゃないから」

それもどうかと思いますけど。

「だからね。俺としては、ダーリンが初彼だし初恋なの。わかるでしょ?」

「はあ……」理解をもとめられてもな……。

「もー。分からないの?だからね。ダーリンに対する俺の気持ちは新品であって……」

「おいお前ら。店の前でいちゃつくな」猫汰の話をさえぎった男が、ちょいちょいと手招きしてくる。どうやら「中に入れ」という合図らしい。

「やったー!」猫汰が遠慮なく店に入り、豪星も、「すみませんおじゃまします……」おずおず、店の中に入る。

中は外観よりもひろびろとしていて。客席は、カウンター席がいくつかと座敷に分かれていた。壁には、ところどころ、品目の書かれた張り紙や黒板がかかげられていた。

猫汰がカウンター席に座ったので、豪星もそれにならって、彼のとなりの席に座る。

キッチンに入った男が、慣れた手つきで湯飲みにお茶をいれると、それを猫汰と豪星の前に置いてくれた。

「ありがとー!」「すみません……」猫汰と豪星の声が被ると、しかめつらだった男のまゆが、ふとゆるみ、つづいてにやにや笑いになった。

「おい猫汰。ずいぶん大人しい彼氏つかまえたな?しりにでもひくつもりかよ」

「なにいってるの?大人しい彼氏をイスに使ってるのはみつのほうでしょ?」

「あ、こらっ」笑っていた男が慌て始めた。二人がなんの会話をしたのか分からないでいる豪星のとなりで、猫汰が「いいでしょ。今日他の客いないんだからさー」くすくす笑った。

「お前……ほんと、他の客がいるときはそれ言うんじゃねぇぞ」

「はいはいわかってるわかってる」

「お前なー……」男は、しれっとしている猫汰を数秒、にらみつけたが。その内、ふと視線がこちらに流れると。「なー。お前さ」豪星の方に話しかけてきた。

「ほんとに猫汰の彼氏なのか?友達じゃなくて?」

「えっと……」豪星も、そこのところ良く分かっていないので、なんと答えていいものやら迷う。

「彼氏だよ!」迷っているとなりで、聞かれていない猫汰が元気よく答えた。

「ダーリンがちょっと困ってる時に俺が助けてあげてね。それがきっかけで、俺たち付き合うことになったの!」

……うーん。縮小すればそのとおりなんだけど、色々なことが省かれているなぁ。

「なにを助けたんだ?」猫汰の話を聞いていた男が、一部分の詳細を指摘すると。「ダーリンが倒れるほどおなかへってたから、サンドイッチあげたの。今も俺のごはん、おいしそうに食べてくれてるよ」猫汰がさらっと答えた。すると。

「まじかよ……!」男が、勢いよく豪星のほうを振り返った。まるで幽霊でも見たかのような驚きぶりだ。

「すげぇなお前。こいつの料理食ってるわけ?」

「……ははは。毎日たべてます」

「すげー!さすが猫汰の彼氏になるだけあるな!」

「ははは……」だよねぇ。すごいよねぇ俺。自分でも我慢強いと思ってる。

男は、しきりに、豪星をすごいだのやるなお前だの手放しでほめまくっていたが、「それよりみつ。おなかすいたー」猫汰の文句にさえぎられた。

「なにかつくってー?」

「はいはい。わかりましたよ」男がしぶしぶ頷いて、「たくもー。お前のせいで今日は早く寝られないぜ」ぶつくさ呟きながら調理を始めた。

「ねーみつ。今日、おやすみにしてまでなにやってたの?」

「町内会で毎年企画してる出店の雑務だよ。
この町年寄りが多いから、パソコン使えないやつが多くてな。ネット発注だの書類の整理だの案内状だのその他もろもろ。おしつけられてるんだよ俺が」

「わあ。めんどくさそう。ハルにおしつければいいのに」

「あいつは今日出張させてんだ。良い食材を現地からこっちにおくらせて、夏が旬のうまい夕飯作って飲もうって決めたんだよ。たまのぜいたくだな」

「わー!いいないいな!届いたら俺にも分けて!お金はらうから!」

「お前が使うと、良い食材もだいなしだぜ」

「そんなことないもん!俺の料理の受けが悪いのみつだけだもん!詩織ちゃんもダーリンもハルも美味しそうに食べてくれるもん!」

「春弥は無理やり言わせてるだけだろ。大体詩織さんだってな……」

男と猫汰が、豪星には分からない話をしている内に。「よーし。出来たぞ」男の料理が出来上がり、それぞれの目の前に手早く配膳された。

「あついうちにどうぞめしあがれ。
なーんて、猫汰の料理が好きなら、俺の料理なんてびみょうかもしれないけどよ」

「いえ……俺、好き嫌いないんで」無難な答えを口にしながら、出された料理をひとくちほおばる。そして。「わあ……おいしい」微笑みが、自然と顔中にひろがった。

「お。美味かった?よかったよかった」男が機嫌良く笑い、それからふと。「ってことはなんだ。お前も猫汰と同じ口か?」不思議なことを言い始めた。

「猫汰さんと同じ口ってなんですか?」豪星が尋ね返すと。「味覚だよ」男が手短に答えた。

「なにくっても美味いから、なにつくっても美味いんだよ。そういうこと」

「あー……」なるほど。そういうことか。

豪星は猫汰の手料理を無理やり食べているけれど、同じものを食べている猫汰は、平然と自分の料理を平らげていたので、なにかへんだなとは思っていたのだ。

となりで、とりのからあげをもぐもぐ食べていた猫汰が、ごくんと飲み込むなり、「なんでも好きだとたのしいよ?」笑って言った。

「そりゃそーだ」男が苦笑してから、次に小鉢の料理を出してくれた。

そのついでに、へらっと笑った男が、「まーけど、これもなにかの縁だよな。猫汰も俺も、よろしくなー?」豪星の方に手を振った。豪星も、軽く頭を下げる。

それから、しばらく料理と話を楽しんで。食事を終えると席を立った。

その際、代金を支払おうとした猫汰に、「今日は出会いの記念にサービスしてやるよ」男が笑ってまけてくれた。

「みつ。気前いいじゃん」楽しそうな猫汰のとなりで、「すみませんありがとうございます」豪星はひたすら恐縮する。そのでこぼこな豪星たちの様子を見て、「つくづくお前ら、相性がよさそうだな」男はますます笑った。

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