先週バイトも切られて……と言いかけて、口をつぐむ。

俺はなにを、恐怖のイケメンに身の上の話をしているのかな……。状況にびっくりし過ぎて判断力が低下してるなこれ……。

そして、豪星の身の上話を聞いたイケメンと言えば。「ははは!想像以上にひどい理由だね!」豪星の窮地を軽く笑い飛ばしたあと。「じゃあなおさら、ごはん作ってあげるねー」にこにこ笑って、食材を袋ごと、キッチンの方へ運び出した。

それから、自分も狭いキッチンに立ったイケメンは、豪星の家にある鍋やフライパンを使って料理を作り始めた。

その光景を、豪星が茫然と眺めている内に。

「できたよー!」イケメンの手料理は、ささっと出来上がってしまった。

イケメンが、手盆で、作ったばかりの料理を部屋の机に運び込んでくる。

隣から適時、ただよってくるかぐわしい香りを吸い込んだ時、豪星の胃袋から音がなりひびいた。実を言えば、彼と出会ったあの日から今日にいたるまで、まともなものを食べていない。日々積み重なった悪習が、食物に対して過激な条件反射を起こしていた。

おなかすいた。ごはんおいしそう。

でも、これはいったいどういう状況なんだろう?

空腹と疑問の間に揺れる豪星の目の前で、料理をすべて運び終えたイケメンが。「はいどーぞ」豪星にハシを手渡してきた。

机の上には、ごはんも味噌汁も、野菜も魚も、肉もある。たっぷりある。

「おかわりもあるよー」

「……いただきます!」疑問が空腹に負けて、豪星はイケメンからハシを受け取ると、机の前で盛大に手を叩いた。

そして、勢いよく飯をかきこんだところで。

「ぶっっは!!」盛大に噴き出した。

なにこれまっず!!見た目超美味そうなのに!!すごく奇天烈な味がする!?

けど、ギリギリ、食べられない訳じゃないみたいな味がする!絶秒なまずさ!

そして俺!噴き出したにも関わらず手が止まってない!「まずいけど食事」「はらへった」という事実に味覚が負けている!

栄養あるならなんでも食える状態だ!

にんげんってすごいな!

自分の行動に行天するほど驚きながらも、豪星はがつがつと食事をかきこんで。そして。とうとう、何分もしない内にそれら全てを平らげてしまった。

頭は衝撃でいかれているのに、腹は満たされているというちぐはぐな状況で、まともな言葉がなにもはけないでいると。

「いっぱいたべてくれてありがとー」豪星の食事を見守っていたイケメンが、ぴったり、豪星の腕にくっついてきた。もはや離れる元気もない……。

「あとさぁ。ダーリン。これみて」

「はい……?」イケメンが、寄り添ったまま豪星になにかを見せてくる。

億劫な視界で、イケメンが見せてきたそれをすっとながめて。

豪星は、「いやもうこれ以上驚くことないだろ」という限界の更なる上まで息をのんだ。

イケメンが豪星に見せてきたのは、通帳だった。

なぜ彼が通帳を豪星に見せてきたのか。まったく意図が分からないけれど。

その通帳の残高には、ゼロが6ケタ記帳されていたのだ。

「つかっていいよ?」目を剥く豪星のとなりで、通帳の持ち主がうっとりささやく。

「ダーリン。お金にこまってるんでしょ?俺、使ってないお金いっぱいもってるから。ダーリンがこまってるなら使っていいよ?」

「…………」

「おれたち恋人でしょ?」

「…………」

「ね?」

俺は。

俺はこの3秒の間に、「このあと」のことを高速で考えた。

この恐ろしいイケメンにつきまとわれて困っていること。それ以前に生活が困っていること。

すべての理性と打算と困窮が一斉に戦いを始めて。そして。

「……そう、ですね……」

勝ち残った言葉が、豪星の口から漏れていった。

そして、自分の言葉に自分で青ざめる豪星の隣で。

「だよねー?ふふっ」イケメン……あらため。名前も知らない豪星の「彼氏」が、嬉しそうに笑った。



イケメン。もとい、神崎猫汰と付き合い始めて、早二週間が経とうとしている。

豪星は、持参した弁当を鞄から取り出すと、若干億劫な気分でその包みを開いた。

中には、からあげや卵焼き、ハンバーグなど、お弁当の定番かつ、豪星の好きなものがたくさん詰められている。

見た目だけならテンションの上がる仕様だが。……これを作った相手のことを考えると、喜びたくとも喜べない状況だった。性別、味、二重の意味で。

「豪星、いつも買い食いだったのに、最近手作りの弁当多いよなー」

隣の席で、購買のパンを開けていた原野が、豪星の弁当を覗き込みながら言った。

「なに?彼女できた?」にやにやしながら訪ねられた内容に。

「……ははは」なにも否定できないでいると。

「お!できたんだ!良かったなー!」裏読みをした原野が、ばしばしと豪星の肩をたたいてきた。彼なりの祝福だろうが、まったく喜べない。

「なになに?どんな子?」

「いけめん……」

「ん?イケメン?彼女イケメンが好きなの?」

「…………」再び、なにも言えず黙り込んでしまう。

「あれじゃね?趣味ならイケメンが良いけど、付き合う彼氏は真面目そうなほうがいいってやつじゃね?」

豪星の沈黙を、上手くうまくのみこんでくれたらしい原野が優しいフォローをしてくれる。「そうだね……」と、受け流しながら、豪星は弁当に視線を落とした。

そして、ハシで中身をつつき、それを口に運んで……よろめく。相変わらず、衝撃の強い味だった。

衝撃によろめいている豪星の隣で、原野はいまだ、「彼女」の話題を続けていた。豪星の彼女を詮索する話や、自分の彼女の話。そして。

「でも豪星。よかったなー夏休み前に彼女できて。これからいっぱい遊べるじゃん」

話題の途中に、豪星はふと反応した。

しばらく慌ただしくて、日の感覚があいまいになっていたけれど、もうしばらくしたら夏休みが始まるのだ。

教室の外ではセミがみんみん鳴いている。

今年の休みも暑くなりそうだなと、ぼんやり考えた。



神崎猫汰は、夕方の五時を過ぎるとやってくる。

最近は合鍵を(勝手に)作ったらしく、豪星の帰りが遅くなっても、先に入り込んで家主の帰りを待っていることもあった。

今日も、学校を終えて帰ると、部屋の窓から明かりがもれていた。

この時間だと、もう食事の準備をしているんだろうなと思えば、知らずため息が出た。

「かえりました……」おそるおそる。扉を開けて中をのぞくと。

「おかえりー」神崎猫汰が、こちらに振り返って挨拶を返した。

豪星は、自分の家だというのに、大変肩身の狭い思いで部屋に入ると適当に鞄を置いた。そして、制服を脱ぐ……前に、冷蔵庫を開けてお茶を取り出した。

「あの……猫汰さん。お茶いただきます」

「どうぞー。
ていうかダーリン。自分の家なんだから確認しなくて良いっていったでしょー?」

「そうなんですけど……」

以前までは、「お茶買う金なんぞあるか」ということで、大体水道水を飲んでいたのだが。今は彼がお茶を作って(しかもこれはまともな味で)冷蔵庫にいれてくれている。地獄に仏というか。ありがたい話である。

ありがたい話と言えばもうひとつ。

「あ。そうそう。ダーリン。お風呂と部屋の掃除しておいたんだけど、洗剤切れちゃったから買い足しておいても良い?」

「はい……すみません」

「それと、前から思ってたんだけど、洗濯したもの床に畳みっぱなしなのどうかと思うから、プラスチックの軽いやつでいいから衣類しまう棚買ってきても良い?」

「はい……たすかります」

彼は、豪星がなにを頼んだわけでもないのに、自ら進んで家事を代行してくれた。掃除から洗濯まで、日常の「わあめんどくさい」というもの全てを彼が引き受けてくれるようになり、豪星は正直助かっていた。これで、彼が女性なら問題ないのになぁと、思うくらいには。

問題といえばもうひとつ。

「ダーリン。ごはんできたよー!」

この、日々出される「手料理」だ。

これがまた……見た目はとても美味しそうなのに、味がやばいときている。

最近では、「まずいとやばいはどうちがうのか」と、良く分からないことを考える始末だ。

けれど、どうにか食費を節約したい上に、お金のパトロンをしてもらっている以上、出されたものを無碍には出来ない。

豪星は、できあがったばかりの料理が机にはこびこまれる様をじっと眺め、それが終わると、料理の前に座って、「……いただきます!」手を強くたたき、気合を入れた。

「今日ははりきって洋食にしてみたよー。ダーリン、オムライス好きって言ってたから」

「はい……大好きです……」これじゃなければ。という話だけどね。

とりあえず、震える手でスプーンをつかみ、卵がとろとろのオムライスに丸い部分を差し込んだ。

すくいあげると、卵の中からケチャップ色のごはんが現れた。グリンピースやチキンも見える。おいしそうだ。……見た目だけなら。

豪星は、すくいとったオムライスに数秒、逡巡してから。「えいや!」と、それを口に運んだ。そして。

うわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

やばいやばいやばい!!今日もめっちゃやばい味がするーーーーーーーー!

心の中で絶叫しながら、もぐもぐと咀嚼し、のみこんだ。

そして、あとは勢いだ!と言わんばかりにオムライスをかきこみ、付属のスープとサラダも平らげ、今日の夕飯を完食した。

となりで豪星の食べっぷりを見ていた神崎猫汰が、嬉しそうに笑う。

「ダーリンってば。いつもがつがつ食べてくれるから見てて気持ちいなー」

「ははは……」なにもいうまい。けしてなにも。

「ここのところ顔色もよくなったしね。ダーリンがたおれちゃった時は、こっちが見てて心配になるくらい、顔色真っ青だったもん。栄養がいきとどいたみたいでよかったねぇ?」

「ははは……」たしかに。豪星も最近、鏡をみるたび「血色がよくなってきたな」と思っていた。前みたいに腹から爆音が鳴ることも、おなかが空いてふらつくこともない。年相応のエネルギーをまかなえている自覚があった。

が。

ここのところ「味」についてはまともなものを食べていなかった。正直腹が減りすぎていた時に食べていたラーメンが恋しい。

実際、こっそり食べようとしたのだが。「そういうの食べてまた倒れたらどうするの?」彼にすぐに見つかり、全部持っていかれてしまったのだ。

買い足そうにも。「いや。味がやばいとはいえ食事があるのにラーメンをわざわざ買い足すのはどうなの?」という理由で、二の足を踏んでいる。

あと、更に厄介なのは、彼が「明日の朝食と、冷めても美味しいお弁当、つくっておくね」と言って、夕飯の傍らそれらも作って置いていってしまうことだ。

それも……残すのもなんだし。もったいないし。という理由で毎日食べている。たいがい完食するので、彼がますますはりきって食事を用意する。という負の循環だった。

さまざまな理由から、まともな食事にありつけないで久しい豪星だったが。そろそろまともなものが、一食で良いから食べたい。そんな欲求にここのところ取りつかれていた。

けど、彼は毎日通ってくるし。「豪星はおいしく彼の料理を食べている」と信じ切っている様子だし。いまさら面と向かって「あなたの料理がまずいのでまともなごはんを恵んでほしい」なんて性格上言えるわけもないしで……どうしたものかなぁと思っているところに。

「ねー。ねぇダーリンってば、ねー!きいてるー!?」向こうで食器を洗っていた神崎猫汰が、いつのまにか豪星の背後に座って、ぐいぐいと服をひっぱってきた。

「はい!?すみませんきいてませんでした!」自分の世界に入り込んでいた豪星は、すぐ、ひっぱられた方向に振り返った。

そして、振り返った豪星に、神崎猫汰はすっと、自分のスマホを見せてきた。画面には、「映画情報」と表示されている。

「今度の土曜日、映画みにいかない?」

「映画……」スマホの画面を見ながら、ぽつりとつぶやく。

4>>
<<
top