心の中で絶叫した。

うわーーーーーーーーーーーーーー!なにこれーーーーー!

優しいイケメンかと思ったら危ないイケメンだったーーーーー!

キスされた場所を片手で押さえながら、心は絶叫、口では黙り込む。

そして、どうやってこの状況を打開しようか急いで考える。

考えて考えて考えて。

とりあえず「すみません。俺用事があるのでそろそろ帰ります。お世話になりました」付き合うどうこうはスルーし、無難な断りを入れて逃げ出そうとしたが。

「帰る前に、ダーリン。住所とばんごうおしえてー?」住居と通信手段の退路を断たれそうになり、びっくと肩が震えた。

冗談じゃない。

住所と番号なんて教えて、そのどちらからも付きまとわれたらどうする。

「こ、こまります……」

「なんで困るの?」

「え、えっと。あの……」

「こまらないよね?教えて」

「あ、あ、あの……」くそう。俺はハッキリと物が言えるタイプじゃないんだ。言いにくいことは言いにくいままそっと流しておきたい。なにを言い返されるか分からない変人相手ならなおさらだ。

そこまで考えてから。「まてよ」とひらめく。

住所および電話番号はこの世に無数存在しているのだ。つまり、教える事実がなにも、豪星の住所と番号でなくとも構わないわけだ。

教えてすぐ、電話をかけられ、偽の番号の相手が通話に出てしまったらアウトだけれど、知らない番号からかかってきた電話に、即座に出る人の確率は低いはずだ。

それに、幸いなことに、豪星の携帯は家に置き去りのままである。

思いついたが吉日。豪星はしおらしくうなずくと、口頭で相手に思いつきの番号、住所を告げた。

それを、取り出したスマホに打ち込んだ相手が、即座にその番号に電話をかけ、そして3コール目で通話を切った。

「電話、ならなかったね?」と言われたので。「すみません。家に置いてきました……」と、半分の事実を伝えると、「ああ、そうなんだ」それですぐに納得してもらえた。

「それじゃあ、また連絡するね。俺の番号登録しておいてね?」

「分かりました……」

「それじゃあまたね。ばいばーい」

豪星の偽の住所と番号を手に入れた相手は、機嫌良く豪星を外まで見送ると、手を振って自分の住居に戻っていった。

その、後ろ姿が見えなくなるまで観察したあと。豪星はその場から脱兎のごとく逃げ出した。

見知らぬ場所から見知った場所まで、走って走って、なんとか自分のアパートの前にたどり着くと、豪星はがくっと膝を折った。

その際、胸中に渦巻いたのは、「逃げられた!」という安堵感だった。

そして、走りすぎてとち狂った呼吸を押さえつけながら、豪星は酸欠気味の頭で考えた。

凄い体験をしたなと。

出先でぶっ倒れて、イケメンに助けてもらったかと思えば、冗談を真に受けられて「付き合ってる」ことにされたという。

今まで生きてきて、1、2を争う珍事ではないだろうか。現実は小説より奇なりってこういう時に使うのかな。

そんな風に考えている内に、段々と息も気持ちも安定し、まともに立てるようになると、豪星は自分の部屋の扉を開いて中に入った。

8畳1Kの部屋に入ると、ここでもう一度ひと息がつく。そしてひと息がついたらついたで。

「……おなかすいたなぁ」身体が再び、カロリーを要求してきた。

イケメンに恵んでもらってだいぶまともにはなっているが、カロリー借金が全部まかなえたわけではなさそうだ。

しかし、コンビニにカップめんを買いに行く途中で倒れたので、豪星の手元にはなにも食べるものが存在しなかった。

再び、食事を買いに外へ出ようかとも考えたが、またなにか珍事が起きるのではという思いがよぎり、断念した。今日は大人しく、このまま過ぎ去るのをまとう。

あと、あのコンビニもう使えないな。一番近くて便利だったんだけど、これからは反対の道を使って別のコンビニへ行こう。

豪星は、水と塩で空腹をごまかすと、シャワーを浴びてすぐ、布団を出して就寝した。今までの経験上、腹が減った時は寝るに限る。

だが、その日はいつもと違い、形の分からぬ悪夢を見た。







神崎猫汰(かんざきねこた)は、時刻が1時間過ぎるのを待ってから、先ほど教えてもらったばかりの番号に電話をかけた。

1時間後ならばどれだけ寄り道したとしても帰宅しているだろう。そう思ってのことだったが。

電話は、何秒何分経過しても、一向に出る気配を見せなかった。

居留守の線をまず考えたが。10分したところで繋がったので、「あ、だーり」相手を呼びかけようとしたが。

『うるせぇな!何分電話かけてんだよ!』

知らない男の罵声と共に、通話がぶち切りされた。

沈黙したスマホを耳から降ろし、じっと、「ダーリン」という名前で登録された番号を眺めている内に。

「まさかね。とは思ったけど」ははっと笑いがこみあげてきた。

「ダーリンってば、可愛い顔してエグイ逃げ方するじゃねぇか。

てぇことはなにか。住所もダミーか」

持っていたスマホをベッドの上に放り投げて、神崎猫汰は玄関の見える窓を開いた。

そして、5階から、先刻、彼が去っていったであろう方向を眺めて呟く。

「にがさねぇし」







昨晩、まるっと悪夢にうなされた豪星だったが。

本当の悪夢というのは現実に起こるのだと、その日身をもって体験した。

それは、下校時刻。開いた校門の隅を歩き去ろうとした時のこと。

「だーりん」

校門を通り過ぎたところで、真横から声がした。男にしては甘ったるい声だなぁと考えてすぐ、言葉の意味が昨日の一部と符合して。

ざぁっと、血の気が引く。

咄嗟に踵を返そうとしたが、足が半回転する前に、横からがっしと腕を掴まれた。

おそるおそる振り返ると、そこには。昨日のイケメンが、にこにこ笑顔でこちらを見ていた。

「よかったぁ。だーりん。待ってたんだよー」

「は……ははははは」なんでこの人ここにいるんだ。

学校は、あのコンビニへ行く道とは全く違う道を使うのだ。それに、道端で偶然豪星を見つけるのならばまだ分かるけれど、これ、あきらかに、豪星の学校を知っていてたずねてきました。という感じだよね。

再三思う。なぜここにいる。

なぜここを知っている。

「ダーリンってば、昨日教えてくれた番号まちがえてたよー」

「それはそれは……すみませんでした……。

それはさておき。あの、どうして此処に……?」

「そうそう。あのねー」イケメンは、豪星からぱっと顔をそらすと、服のポケットを探り始め。そして。

「わすれものだよー」何かを手に持ち、それを掲げて見せた。

取り出されたそれは、彼の手のひらに収まる四角い板状のもので。それを見た瞬間、豪星の血の気が更にさらに落ちた。

……なんでこの人、俺の学生証持ってるの?

「昨日、俺の部屋に落としていったみたいだよ?」

「まじかー」自分の過失がひどすぎて、うっかり心情がもれてしまう。

青ざめながら、忘れ物あらため学生証をイケメンから受け取ると、豪星は必死に、めちゃくちゃ必死にこのあとのことを高速で考え込んだ。

とてもまずいことになった。

学校を知られたということは、豪星の身元を半分知られてしまったも同然だ。

これから、毎日校門に待ち伏せされるかもしれないことを考えると、徐々に胃が痛くなってくる。

どうしよう。どうしよう。ただでさえ逼迫した生活してるのに更に面倒を掴まされるなんて御免こうむりたい。

などと、考えている豪星の傍で。

「そういえばダーリン。教えてもらった住所、今日調べてみたけど番地が存在しなかったよ?住所も間違ってたみたいだね?

また間違えて書いちゃうといけないから、今からダーリンのおうちについていっていい?それなら確実だよね?」

爆弾発言をされて思考が止まった。

この上住所もばれるのは……まずいまずいまずい。

「今から帰るんだよね??」

……よし分かったとにかく逃げよう。

今この場からすぐに逃げよう。そのあとのことはそのあと考えよう。

冷や汗を大量に流して、退路を探す豪星の背後から、その時。

「おーい!豪星!」こちらを呼ぶ声がして振り返る。

豪星を後ろから呼んだのはクラスメイトの原野浩太(はらのこうた)だった。「お前電話でろよー!先生がお前に返し忘れたものあるってさー!」どうやら、豪星に親切で伝言を伝えてくれたらしい。

彼の登場と伝言に、「わかった!」豪星は即座に飛びついた。

そして、突然の介入に驚いているイケメンに向かって。「すみません!先生が呼んでるらしいので、ちょっとここでまっててください!」待機をお願いすると、返事も待たずに校舎へ駆け戻った。

「あ、ちょ……っ」イケメンの焦る声が聞こえたが、振り返らずに全力で走り抜ける。

校舎に入ると、玄関で脱いだばかりの靴をひっつかんで、鞄を脇にかかえ、人気がまばらな廊下を走る。目的は、教師の元ではなく、学校の裏校門だ。

豪星を呼び出した教師に悪いが、返し忘れたものとやらは明日にしてもらおう。それよりもまず、ここから逃げ出さねば!

豪星は、「こら!廊下を走るな!」というお叱りを方々からうけながらも、念のため、校舎の道をぐちゃぐちゃに選んで撹乱しながら裏校門に向かった。

昨日に引き続き、喉から血が出るんじゃないかと思うほど走り抜けたあと。裏校門について、いったん、足を止めると。

後ろを振り返って、誰もいないことを確認した。

「よっしゃ!」もうひといき踏ん張るための気合を入れると、豪星は裏校門から出てさらに走った。

向かう先は我が家である。







なんとか家にたどり着き、充分な休憩を取ってから「さて。明日からどうしようかな……」と、考えていた矢先のことだった。

ぴんぽんと、呼び鈴が部屋中に鳴り響く。空の色が落ち切る直前は勧誘か宗教の訪問が多い。居留守をしようかと思ったが。

「すみませーん。宅配でーす」外から直接扉をたたく音と共に、業者であることを告げられた。

「あ、はーい」へんだな?なんの荷物がきたんだろう?と、思いながらも、豪星は扉に近づき。外をよく確認しないまま扉を開けて。

「いえーい。きみの彼氏をお届けにあがりましたー」

よく確認しなかったことを開けてから後悔した。

「…………どうしてここに」今日、何回このセリフ言ったかな。

「あのねー。おれ、ダーリンを学校で見失っちゃったから、ダーリンのおともだちにちょっとお願いして、ダーリンのおうちを調べてもらったのー」

ええ??どうやって??

いや。そりゃ、学校で住所を書く機会はあるし、学校の誰かに偶然、近所で目撃される可能性はあるだろうから、学校中探せば誰かは知ってたかもしれないけど……。だからといってどうしてこの人がそれを特定できたの??なに?魔法??

「愛のなせるわざかなー?」

うわぁ心中を読まれた!

この人こわいよー!

恐怖にかられてだらだらと汗を流す豪星の隣を、恐怖のイケメンはすっと通り過ぎて、勝手に中に入り込まれてしまう。

「へー。こじんまりしたおへやだねー」

「あ、あ……」止めようにも勢いにのまれて止められず、相手の侵入をゆるしてしまう。

豪星の住居に侵入したイケメンといえば、持っていた大き目のカバンを部屋の隅に置きながら、中身をごそごそ探り始めた。

なんだろう。盗聴器でも置いていくつもりかな……。

怯える豪星の想像とは逆に、彼がカバンから取り出したものは。

膨らんだエコバックと、そこから飛び出るネギらしきもの。だった。

「…………?」なんで今食材が出てくるんだろう?

「ダーリン。ごはんつくってあげるね」

「え?」ごはん?なんで?

「ダーリン、おなかすいてるんでしょ?なにか食べたくても節約してるって言ってたじゃない。食べ物けちるほどなにかお金に困る事情があるんでしょ?」

「え。えっと。はい……まあ」

「そういえば。具体的になにがどうしてお金にこまってるの?」

「え……いや、その。親が蒸発してるから、俺、生活費がなくて……」

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