「みてんじゃねぇよ」



茹だりそうな程暑い日、熱風になった風の拭く教室の窓をぼんやり見つめていると不意に声が聞こえた。

窓の直ぐ隣に居た人が声を上げたらしい、あれは、…榊蛇綱か。

彼は所謂不良人という奴で、皆がひそひそと話す程度には素行が悪い、瀬近にとってあまりご縁の無い人種だった。

高校に上がって直ぐのクラスメイトではあったが、話した事は一度も無い。というか、彼が誰かと話している所を見た事が無い。

大体授業をふけているので、教室に居る事自体珍しい。

角度的に、多分ずっと視界に入っていたのだろうが、ぼんやりし過ぎて気付かなかった。

「みてんじゃねぇって」

榊蛇綱がもう一度声を上げた。声は丁度、瀬近の方を向いている。

多分背後に居る誰かに声をかけているのだろう、しかしクラスの中に彼と話す人間が居るとは、吃驚だ。

勇気のある奴もいたもんだと、ぱたぱた下敷きを仰いでいると、その内榊蛇綱がおもむろに立ち上がった。

返事が全然聞こえてこないので、多分無視をされた事に腹を立てているのだろう、その証拠に、彼の眉間には複数の皺が寄り集まっていた。

おお、怖い怖い、喧嘩なんてテレビの中だけで十分だ、日常生活になど入り込んで欲しく無い。などと、悠長に構えていられたのはそこまでだった。

唐突に、がん!!と自分の椅子の足が蹴飛ばされる。吃驚し過ぎて喉がひっくり返り、仰いでいた下敷きが床に落ちる。

ぱくぱくと、口を空けながら振り返ると、榊蛇綱が物凄い形相でこちらを見下ろしていた。

「おい葉ノ宮」

「は、…は、い」

ひっくり返った喉を何とか押して声を出す、その小さい返事に苛立ったのか、榊蛇綱がもう一度椅子を蹴飛ばしてきた。

「てめぇ返事位しろよ、あ?なめ腐ってんのか?」

「い、いや、ごめん、僕だとは思わなくて…」

「は?」

しどろもどろになりながら、努めて大きな声を出す。

しかし、今度は答えた内容が気に入らなかったらしく、机の脚を蹴り飛ばされた。

「お前意外誰に言えってんだこんな事」

「え、え」

途中から何に怒られているのか分からなくて、唯々相手を見上げる事しか出来なかった。

陸に上がった魚のようになってしまった瀬近に、榊蛇綱は「おい、葉ノ宮」とすごんだ声を寄せてくる。

「てめぇ何で俺の事見てるんだ?」

「え……あ、ごめ」

「毎日毎日、しょっちゅうちらちらこっちを見やがって、ふざけんなよ」

言われた言葉に虚を突かれた。

瀬近は、偶々窓を見ていた時に榊蛇綱の方を向いていたので、それをじっと見られていると彼に勘違いさせてしまったのだと思っていた。

けれど、何故か彼は、自分が常時榊蛇綱を見ていると言い出した。

何の誤解だろうか、そんな事実はひとつも無い。だから慌てて弁解を試みようとした、が。

「みてんじゃねぇよ、胸糞わりぃ」

シャツの裾を思い切り引っ張られて言葉が詰った。彼の顔が先程よりももっと近くに寄せられる。

怖い。とても怖い顔だった。雰囲気も尋常ではない。息が、二つの意味で苦しい。

「おい」

おい、と、何度も呼びかけられる度、ぎゅ、と掴まれたシャツの力が強くなった。答えない瀬近に苛立っているのだろう。

ついには、片方の手を振り上げられそうになった。咄嗟に目を瞑り、「ごめんなさい!」と、冤罪に謝る。

すると、シャツを掴んで居た手の力がふとゆるくなった。多分咄嗟の謝罪が功を得たのだろう。ほっとして目を開ける。

そして絶句した。

「………やっぱりな」

鬼のような形相は既に消え去っていたが、変わりに、悪魔のような笑みを浮かべた榊蛇綱が、じっと瀬近を見詰めていたのだ。

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