ただひとり。中々クッキーに手をつけないけんじといえば。なにやら少し顔を赤らめて。ちらりと、一蔵楓花のいる場所に目配せした。

「……一蔵先輩。わざわざ俺にこんなのくれるなんて」

もしかして俺に気があるのかな。と、小声だが確かに聞こえた言葉に。

「―――――あっはっはっはっは!!」猫汰が爆笑する。「ちょ!先輩!」さっと、けんじが恥ずかしそうに猫汰をにらんだ。

「なに笑ってんすか!いーじゃねっすかクッキーもらったんだからそんな風に思っても!」

「い、いや!ごめっ!ごめんけんじ君!ちがう!ちがうんだよ!あっははははは!ひー!ただちょっと不毛だなって思っただけで!」

「なんすか!夢見たっていいじゃないっすか!」

「そうだよねー!夢見てもいいよねー!お前もふーかちゃんもさー!あははははは!」

けんじと猫汰が笑いと羞恥を掛け合わせているさなか。

「なんか楽しそうっすねー」クッキーを食べながらへんじが呟き。

「そうだね……」相変わらず複雑な心境で、豪星も三枚目のクッキーに噛り付いた。



「猫汰。最近はどうだい?」

仕事の合間に立ち寄ってくれた兄が、リビングで猫汰にお茶を出されるなり近況を訪ねてきた。

兄の対面に座り込んでから。「みてみて詩織ちゃん!」一蔵楓花の最新刊と、最近出来上がった己の力作。二冊を取り出して見せた。

「なにこれ?」冊子を受け取った兄が、一蔵楓花が書いたほうをぱらぱらめくり。「おお。すごいね」中身の感想を簡潔に述べた。

「豪星くんが大変な事になってる」

「そうなのー。そこがぐっとくるっていうかー。
あ、大丈夫。結末はハッピーエンドだから」

「そうなんだ。それは安心だね。
ところでこれは猫汰が書いたのかい?」

「ううん。ちがうよ。俺が書いたのはこっち。詩織ちゃんが持ってる方はお友達が書いたの」

「友達?あの後輩くんたちかい?」

「違うよ。女の子のおともだちー。最近出来たの」

「へえ。そうなんだ。女の子の友達か……」女の子の友達。という単語に、兄がことのほか嬉しそうな声を上げる。

どうやら、同性の友達が出来たことに安心を覚えたようだ。

兄の安心ついでに、猫汰はあれこれと己の近況を語り始めた。

変化後の体調は問題ないこと。ただ生理が毎月しんどいこと、彼氏が優しいこと、新しい友達に感化されて新しい趣味を開拓し、それがとても楽しいこと。

猫汰が話しているさなか。「よかった」兄がまた嬉しそうに笑う。「猫汰が楽しそうでなによりだ」

「猫汰のかかった病気はとても大きなものだからね。
そのせいで、君の人生が前よりずっとおかしくなってしまうんじゃないかって心配だったんだ」

けど、杞憂だったねと笑う兄に、「そんな心配してたんだ」猫汰はけらけらと笑って見せる。

「大丈夫だよ詩織ちゃん。俺の人生はなにがあって常にハッピーだから」

大げさな宣言をしたあと、ふと視線をどこでもない場所に向けてから、声にださず、もうひとこえ、口のなかで付け足した。

そう。俺の人生は女になってもハッピーだ。

大好きな人がとなりにいるかぎりね!

おしまい。

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