今日から新居の寝泊まりが始まる。
「おつかれさまー!」
「おつかれさまですー!」
梱包まみれの家具の中から机だけ紐解いて、新しいリビングの真ん中へおくと、お互い対面に座って買ってきたビールの缶を開ける。
今日のおつまみはコンビニのお惣菜だ。手料理はどうせなら、部屋が綺麗に片付いてから食べたいねということで。入居初日のお祝いはコンビニごはんで済ませることになった。
手料理は改めてお祝いする時に食べれば良い。機会は何度だってあるのだ。
ビールを開けて別のお酒も開けて。つまみも適当に平らげて、猫汰と「あのときはこうだったね」という話で盛り上がっているうちに夜が更けた。
そろそろ寝ようか。という話になり、先に猫汰が入り、あとで豪星が風呂を浴びて出てくると、配達の関係でまだひとつしかないんベッドの上にちょこんと座った猫汰が、「いっしょに寝よう!」と手招きしてくる。
「シングルですよ。狭くないですか?俺、床でもいいですよ」
「いいよ!むしろ狭いのがいいでしょ!」
「そんなもんですか?」
まあいいやと、猫汰の隣に寝転ぶと、「わーい!」ぎゅうと抱きかかえられた。大人しくぬいぐるみをしているうちに、ふと、窓から夜空が目にはいって。
猫汰がいてよかったなと思った。
豪星が静かすぎるので疑問に思ったのだろう。「どうしたのダーリン?」猫汰がひょいと覗き込んでくる。「いや、猫汰さんがいてよかったなーって」その背に手をまわした。
「なんで?」
「父親、この前出て行ったでしょ?」
「うん」
「俺ね、いつも、あの人が出て行ってから一か月くらいは、夜にずっと泣いてるのね。たぶん、子供の時寂しかったのがトラウマになってるんだと思う。夜はとくに寂しかったから」
「……うん」
「けど、引っ越ししたり、片づけたりしてたらあんまり父親のこと思い出さなくて。今は思い出してるけど、猫汰さんがとなりにいるから、泣けてこないみたい。
だから、なんか、よかったなーって」
「そう。うん。そうだね。よかったね、ダーリン」
「うん」
「ずっとさびしかったね。がんばったねダーリン。
いいよーもっとぐりぐり甘えていいんだよー」
「うん。ありがと」
猫汰はますます抱きしめてくれると、「ダーリン」不安に折り合いをつける豪星に向かって言った。
「これからは、俺がいっしょにいるから」
「…………うん」
その一言にすごく。すごくほっときて。そのままうとうとし始めた。
父親がいなくなったことに泣かない夜は、とても静かだった
*
その日、懐かしい夢を見た。
昔住んでいたアパートの中で、子供の自分と若い父親が対面に座っている。
父親は珍しく豪星の頭をなでながら、複雑そうに笑った。
「―――ねえ豪星。よく聞いて。
先人のひといわくね、運っていうのは結果を見なければ分からないものらしいよ。
例えばさ、クジで一億があたったとする、普通はこれを幸運と見るけど、もしこのお金が原因で不幸が起きたとしたら、それは結果として、不運を当てた事になるんだ。
あとね、運勢って、土地とか気候とか、繋がりによって左右されるらしいよ。
例えば、とても不幸な人がいたとする、けど、その人はその時その場所に居るから不幸なのであって、その時その場所から居なくなれば、不幸とは限らない。
例えば、その人の言動、行動次第によって。運命って変えられるらしいよ。
ねえ、豪星。この話をよく覚えておいて。
僕みたいな父親をもって、かわいそうな君はとくに。この話を覚えていて。
そうしたらいつか。僕から君を助けてくれるひとが現れるかもしれない。
だから、ねえ、豪星。
よく覚えておいてね」
――――覚えている。
繰り返し繰り返し教えられた。無責任だと腹が立って忘れようとしたのに、結局忘れられなかった。
だけど、覚えていてよかったかもしれないと今なら思う。
「大丈夫だよ」
「豪星?」
「もう大丈夫だよ。父さん」
子供の自分が立ち上がって、父親から離れていく。
父親を背に、アパートの扉を開けて外に出たとき。
「ダーリン!どこいってたの?はやくかえろー!」
彼の声が聞こえた。
イーブン/おしまい
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